試験中の情事
木屋 亞万

レンガのようなブラウンジャケットを着た老人が厳かに部屋へと入ってくる。眼鏡のレンズはトンボのようだ。頭は禿げて芋虫のようなフォルムをしている。彼が私たちの試験官だ。

「トウコウデハシケンチュウノセイコウイハイッサイキンシシテイマス」
(当校では試験中の性行為は一切禁止しています)
わが耳を疑い、脳内変換ミスを正そうとする。老人のフの発音が弱すぎたのだろう。不正行為、不正な行為のことだ、カンニングとか、替え玉受験とか。わざわざ試験中にセイコウイをすることを禁止しなくとも、誰もそんなことを公衆の面前で試験中に行おうとはしないはずだ。

いや、待てよ、と思う。もし言い間違い、聞き間違いでなかったなら、もしかつて試験中にアンアンやっちゃった生徒がいたとしたら、あの眼鏡滅髪老人の警告は正しいことになる。人恋しい季節に、連日深夜まで一人で試験勉強をしていた男子生徒が、試験問題のわからなさに自暴自棄となり、隣の女子生徒への欲情を抑えきれなくなったということも考えられる。うちの学校なら十分に考えられる自体である。

それに、性行為の方が試験よりも重要だという境地に(たまたま試験中に)至った若者も現れるかもしれない。試験なんてものは所詮、詰め込まれた知識がきちんと消化されているか確かめるためのものだ。文科省の用意した教育材料を、教師が授業を通して調理し、生徒に摂取吸収させる。試験時になると、その生徒が消化した排泄物を、教師はうれしそうにチェックし採点するのだ。つまり、試験は排泄物なのだ。ということは、今みんなは全力でうんこをしている(比喩的に言えば)。45分かけて、満点のうんこを目指して気張っているのだ。この日のために一週間をかけて、あるいは一夜漬けをして、食べたものを綺麗さっぱり排泄することに一生懸命になっている。

そうか、試験は糞便学(スカトロジー)に通じるものがあるのだ。そう思うと、鉛筆がカリカリと机を走るのが、排泄時の音に聞こえ始める。皆が机に向かっているのか、便器に向かっているのかわからなくなる。排泄と性交どちらが大切かと聞かれたら、私は排泄であるので、やはり試験には取り組むが、時として性行為のほうを選ぶ猛者もいるだろう。それが、かの老人の警告の対象だったのだ。試験中に服を脱ぎだしたり、局部を露出したりするものが現れたら、それこそカンニングや替え玉受験の騒ぎではない。実に適切な注意である。

そうこう考えて試験問題を解いていると、答案用紙の記号がアイイアウウアアアイアイイイとなった。これがどうもアン、イイ、アッ、ウウ、アッ、アア、イ、ア、イイイーというあえぎ声に思えてならない。かなり脳の中枢が麻痺してきているようである。そして試験官からの熱い、熱すぎる視線を感じる。トンボ芋虫老人が私の机のすぐ隣を通り過ぎていく。実はこの老人は試験前の注意をするふりをして、性行為というセクハラワードを口にして、戸惑う女子生徒の反応を見て愉悦に浸る変態豚野郎なのではないか、という疑念がメラメラと湧いてくる。しかし、老人のトンボ眼鏡の奥には真剣そうな2つの目があるのみで、変態性や異常性は見受けられなかった。

鉛筆と机のぶつかり合う硬質な音の雨が、私の背中を激しく打ちつける。突如、私は机の気持ちになったように、快感を覚え始める。皆が真剣に鉛筆の先を私の硬質な背中にこすり付けている。触角はなくても、聴覚がゾクゾクするくらい反応している。日本人の発音する「アイラブユウ」が外人には、私はあなたを擦りますと聞こえるらしい。これはある種のジョークとして、よく耳にする話題ではあるが、真剣に鉛筆で背を擦られるというのは、情熱的な愛の告白に似た高揚感を私たちにもたらすのではないだろうか。実際、自分が擦られている姿を、鉛筆の音から想像していると中々素晴らしい行為であるように思われた。

徐々にではあるが、背中にムズムズと痒みを伴うようになってきた。それは、鉛筆の音を受けて行った脳内妄想による身体の反応だった。相変わらず皆の真剣な排泄行為は、とどまることを知らない。排泄行為とは本来個室で行われるべきものであり、このような集団で一度に行われるべきものではない。もしこのような試験的排泄行為の形式の方が正しいのであれば、試験の机の数のようにトイレを用意して欲しいものである。そうなれば、遊園地でも映画館でもトイレが馬鹿みたいに混雑せずに済むのである。それにしても、集団で排泄をしてみんなは恥ずかしくないのだろうか。尻を拭いた紙を流さずに提出するような、ギョウチュウ検査のときのような恥じらいはないのだろうか。

誰も試験と排泄の関係に気付くことなく、ある意味では幸せな学生生活を送っている。試験官が性行為といったことを歯牙にも掛けない。電車の中で平気でメイクをする若者を、お年を召された方が嘆くのに、共感の念を覚えた。私の興奮もいよいよ醒めて、ぐっと強く鉛筆を握りなおした頃に、試験終了のチャイムがなって用紙の回収が始まってしまった。慌てて白紙の答案用紙に名前を書き、その隣に「どうも便秘のようでした」と書いた。後日、先生に呼び出され再試験を受けさせられることになった。先生はなぜだかひどく私の体を心配してくださった。その後、無事個室で再試験による排泄を終え、私は問題なく合格点をもらうことができた。


散文(批評随筆小説等) 試験中の情事 Copyright 木屋 亞万 2009-01-12 02:21:24
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