帰し方の甘露(仮題)
やなし

 ぎぃころぎぃころ
 ぱたんぱたん
 ぎいぃころぎいこ
 ぱとたたん

ふいの夜風に あらぬ匂い
むせるほどの 肉の香り

 ぎぃころぎいぃころ
 ぱたんぱたん

そこまで来ているのなら
戸を叩いてくれればいいものを

なにをそんなに
おびえているのか

 ぎぃころぎこん
 ぱとたとん

それとも隠しているつもりか
あかくあかく長い舌
やあまったく
いやらしい



 ぎぃ

 ぎぃ
 ぎぃ

踏みしめるごとに耳障りな嬌声
ぬらぬらと光る不具の左足
そのつま先さえ
私の分け前ではないらしい
私はそれを翡翠と聞いた

 ぎぃぃころ
 ぎこ

 ぎぃいころ
 ぎこ

  ばたん


戸が閉まる
とたんに部屋が震えだす
ちらちらと
ふるふると

やがて部屋を水が満たす
粘ついた空気に触れ
そして一体感
口と肺が双子であることを思い出す

 そぷ

部屋の隅からのそのそと蝉
夜行性の蝉は水を好む
いかにも蝉は魚であった
夏色の翅を震わせ
見事な流線型の腹
ただ一度さえ
触れることはかなわなかった
私はそれを鼈甲に覗いた

  ぞっ

戸が開く
端から蝉が流れ出す
ちろちろと
ふるふると
部屋にあわせて鳴きながら
私の耳を掠めて泳いだ

 ぞず
 ぞず
 ぞず

やがてすっかり水が引き
隠されるもの閉じられるもの



蝉の翅が落ちている





 ぎぃいこ
 ぎこ

あいもかわらず
呼んでいる

 ぎぃころ
 ぎいぃころ
 ぱとたたん

「足りんのだろうよ」

口にだしてみる

もちろん
どうにもまいってしまっているのは
私のほうだ

わたしはどうにも
恋しいのだ


 ぎいぃころぎいぃころ
  ぎ

  ぱたん


戸が閉まる
とたんに部屋が震えだす
ちらちらと
ふるふると

やがて畳の目が押し上げられ
あちらではフキ
こちらではツクシ
ややあって
大きなぜんまい

わらび
タラノメ
いたどり
ミツバ
たけのこ



 ぎぃぎぃぎぃ

 ぱたたたた
 ぱとたと
 ぱとととt

 (それから一寸、ドスンドスンと米俵の足音)

 ぱとぱとぱとぎぃこ
 ぱとたたたたたぎぎぃこ




未詩・独白 帰し方の甘露(仮題) Copyright やなし 2004-08-12 11:06:47
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