敬愛する遠藤周作先生への手紙 〜神戸旅行記〜
服部 剛
遠藤周作様
年末年始の神戸への旅を終えた今、あなたの故郷である地で過ごしたかけがえのない時間を無駄にすることの無いよう、僕は自らの弱い心にもう一度、これからの日々の決意をする為の手紙を、ここに記したいと思います。
新年の初めの日であった昨日は今回の旅の最後として、夫と別れた母と幼年期の遠藤先生がかつて過ごした家のあった場所に行きました。もうすでに、別の人が住む、新しい家が建っていました。僕は瞳を閉じて、ある哀しい母と少年が手を繋いで、かつてこの道を歩いた情景を想像しました。母子が家の玄関の戸の中へ吸い込まれてゆくと、素朴な一つの電球が、母と少年の家庭の灯の象徴としてともるのが見えました。夜空を見上げれば、下弦の月とその下には金星が力強く、昨晩も輝いていました。そして時折何処からか、寺の鐘の音が聞こえて来るのでした。
僕は今回の旅の最後に訪れたこの地で、お母様と遠藤先生がかつて過ごしたこの場所に観える、消えることの無い「家庭の灯」を胸に焼きつける思いで、そっと両手を合わせてからその家の前を去りました。
仁川駅で帰りの電車に乗る前に、ホームの公衆電話から、東京の順子婦人に電話し、昨晩の年越しの瞬間を、お母様と遠藤先生が共に祈った夙川教会で祈りながら過ごしたこと、順子様の日々の幸福と恵みを願ったことを伝えると「あらまぁ・・・!亡くなった主人は私のことなんか忘れて何処かを吹く風になっているのに、ありがとう・・・」と、とても喜んでくださいました。
阪急電車に乗り、夜の六甲山の麓の家々の灯りを見ながら、人それぞれの哀しみや、僕の哀しみと弱さを打ち破る瞳で夜の車窓をじっと見つめていました。この地で敬愛する遠藤先生が、幼年期に夫と別れた母と過ごしていたことを思い、そして、この地で十数年前に震災でたくさんの命が失われたことを思うと、六甲山の麓の家々の灯から、この世を去った多くの魂達の声が聴こえてくる気がして・・・この胸は、神戸という地を、言葉にならぬほど愛惜しく思う気持に溢れ、僕は涙腺を緩ませながら、冷たい車窓に額を押しつけて、旅先の夜の車窓をみつめながら、精一杯の思いをこめて、( ありがとう、神戸・・・ )と心の中で、家々の灯に呟いていました。
二十三時前に品川駅に着き、駅構内の窓から遠くに東京タワーが光っているのが見えました。品川駅から東京タワーまでの間に灯る東京の街の灯も美しいのですが、旅の時間に見た神戸の街の灯と何かが違うのを僕は感じました。それは街に吹く風の違いなのでしょうか・・・何故か同じ灯でも、神戸の街の無数の灯は、何処か澄んでいて、丸みを帯びているような・・・人の心の哀しみに囁きかけて来るような灯として、思い出されるのです。
午前〇時前、地元の大船駅で下車し、今回の旅の終わりと本年の始まりを、現実的な時間として感じながら、僕は歩いていました。賑やかな店も並ぶ大船ですが、路地に目を向ければ、ぽつんと独りきりで闇の口を空けて立っている、凹んだビールの空き缶や、酔っ払いに倒された、薄汚れたポリバケツや、新しい店の間に何故か潰れた店跡のまま幽霊のようになった襤褸屋が立っているのを見ると、それらはこの世のあらゆる街に潜む、人々の哀しみのように思えました。
敬愛する遠藤先生・・・この世に生きる人間にとって、一番大切な(なにか)を、言葉にならぬ想いを書き続けた文人のあなたの後ろ姿の面影を、僕はこの生涯をかけて、追い求め続けます。今回の旅先でも、僕は時に憐れで汚れた独りの旅人でありました・・・こんな僕には行き着くところ・・・この人生の歓びと哀しみの全ての想いを凝縮して、一篇の詩を書く以外に、道は無いのです・・・心貧しい者である私が、あなたの望みを生きる詩人となれますように・・・と、僕は幼年期の遠藤先生とお母様が過ごした家のあった場所で、消えること無い「家庭の灯」を思い浮かべながら、跪き、一心に祈った旅の最後の場面を、生涯忘れることはないでしょう。
最後に、新年の初めの日に一番歓びを感じたことをここに記しておきます。僕は今年の春頃に詩集「 Familia 」という本を出します。その題の意味することは、この人生という、いつか夢になるであろう地上の日々の記憶として、僕を育んでくれた家庭・職場の老人ホーム・詩を愛する仲間達と過ごす詩の夜・・・それら全てを喩え、「 Familia 」・・・家庭的な、普通な・・・という意味の言葉を題にしました。言葉にならぬ想いを詰めこんだ一冊の本になるでしょう。
元旦の朝、神戸のホテルのロビーでパソコンをしていると、後世に遠藤文学を伝える山根道公先生からメールのお返事が来ていることに気づき、その手紙の内容は、「遠藤先生も喜ばれるでしょうから、 詩集の寄稿文、喜んで書きましょう。」という内容で、僕は嬉しくてメールの返事を山根先生に送信した後ホテルをチェックアウトして、今回の旅の歓びが胸の奥から湧いて来るのを感じながら、参拝客と屋台で賑わう湊川神社前を通り、元旦の晴れた空の下、神戸港に向かって歩きました。
神戸港は僕にとって特別な場所であり、五年前の旅の途中で港のポートタワー内にある展望台に上り、六甲山の麓に広がる街並を眺めながら、震災から復興した神戸の人々の決意が伝わり、この胸の奥から生きる勇気が湧いて来たことを今も時々思い出すのです。その旅情を思い出す為に、僕はあの旅の日以来、久しぶりに訪れる神戸港へと歩きました。胸の内で密かに、春頃に出る予定の僕の詩集「 Familia 」が、一人ひとりの読者のこころに消えぬ灯のような、贈り物になることを希いながら。