信じて頼るか仙道君、信じて用いるかデューク・東郷。
相良ゆう

特にこれといった意図もなく、
ただふと思ったので書き綴ります。

信頼と信用という言葉は
同じような意味を持つ言葉だけれど、
しっかりと区別をしなくてはならない言葉だと
唐突におもったのでした。

そのときに浮かんだのが、
「お金を信頼するな。」と
「人を信用するな。」という例文です。
なんででしょう? 自分でも分かりませんが。

信頼と信用という言葉を区別するなら、
単純に人と物との区別でいいのではと、
まったく単純に思っていたのでした。


信頼するには相手が必要。
信頼できる相手が。
それは物ではないし、動物でもない。
ペットは癒されるけど信頼はできない。
ただし同じ動物でも
高度に訓練された動物は信頼できる。
盲導犬はすごい。
とにかく私のいいたいことは、
私の声に応えてくれる者でなくては、
信頼などできるはずがない。
逆に言えば、私が誰かの声に応えなくては
信頼を得ることなどできるはずがない。
ちゃんと互いのやり取りが続くことが
信頼を培う第一歩だとおもう。


一方で、お金は物と交換できるから
交換するという目的どおりに使えると
「信じて用いる」から、信用できるのであって
別に交換できればお金でなくてもいい。
交換できるものであればいい。
ただ、交換できるという仕組みは
常に維持されていなくてはならない。
つまり商売などのやり取りの媒介として
常に機能するということが大切なのだ。
信用があるとはそういうこと。

そんなこんなでなんとなく思ったのが、
信頼にはマニュアルみたいなものはなくて
ぶっつけ本番。その場その場での対応が
信頼をつくっていくのだと思うけれど、

信用にはもうすでに用意されたマニュアルがあって
常にそのとおりに事を運ぶことが大切で
それの積み重ねが信用をつくってきて、
それがこれからも続いていくことが大切なのだ。
ということ。


だから信頼はTPOに左右されたりするけれど、
信用は時間や場所を越えて常に同じである必要がある
・・・のではないかな。たぶん。


似たような意味だけど
全く性質の違うものなのだなあと
なんとなく思ったのでした。



きっとこの人なら期待に応えてくれる!

(スラムダンクの仙道くんみたいに、
「それでも仙道なら・・・仙道なら何とかしてくれる!!」
見たいな感じで)

と信じて頼るか。


きっとこの人に任せれば間違いはない。

(ゴルゴ13のデューク東郷みたいに
「依頼者との約束は必ず守る」という信条と、
そのための超一流の技量とを身に備えた男の中の男
をイメージして)

と信じて用いるか。


「信頼される人」や「信用のある人」になるのは大変ですね。









最期のほうが取ってつけた感じがするのは、
取ってつけたからです。あしからず。


散文(批評随筆小説等) 信じて頼るか仙道君、信じて用いるかデューク・東郷。 Copyright 相良ゆう 2008-12-29 18:14:10
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