「不思議の国のアリス」に尽いて 〜児玉あゆみ・覚書〜 
服部 剛

 司会の僕が「2部のラストはこの人に登場してもらい
ましょう・・若き詩人の星・児玉あゆみさん」と名前を
呼ぶと、「笑いと涙のぽえとりー劇場」に初登場の児玉
さんは詩と朗読について「詩は(難しいとか知識じゃな
くて)フィーリング・・・感じることだと思うんですよ」
と語ってから「不思議の国のアリス」という現在の児玉
さんの心情が凝縮された詩の朗読が始まった。 

 愛する人と別れた後の、空洞になった家へと一人帰る
夜道の呟きで、この詩は始まり、幸福な時から抜け出し
て独りになった詩人の思いは、自分の日常に留まらぬ思
いで、街と人と自分の間に、真実を探し始める。 


  守るとか決めるとか
  どして世の中こんなに約束に溢れているのだろう
  そんな事を思う、電車の中
  誰かが誰かより上で
  誰かが誰かより下とか
  どして世の中そんな優劣に満ちているのだろう
  そんな事を思う、帰り道 CRY 

  人は頭がひとつ目がふたつ体があって手足がある
  生きてる人はみんな偉いし尊い
  そんな反逆を真剣に思うと涙が出てしまいます

  ワタシハダレ ココハドコ

  帰り道に踏み入れてしまった不思議の国
  わたしは不思議の国のアリス 


 詩人とは、世の人々を覆う偽りを取り除いて視える
(本当の何か)を伝える者なのかも知れない。児玉あゆ
みという詩人は一人の女として幸福を求めながらも、個
人の幸福のみでは納まりきらぬ人間の幸福を探し求めて
いることが、この詩と朗読時の偽りの無い叫びから、理
屈抜きに伝わって来る。(人間は皆同じ体と心を持ち、
上も下も無い)というメッセージは、幸福だった時期を
抜け出した詩人が夜の路上で独り立ち、胸の奥に在る真
実の言霊を語った、人間の普遍的な宣言であり、そこに
詩人の最も大切な人間観が垣間見えるのである。 

 そして、この詩について僕が一番大事だと思うのは、
詩人自らが「アリス」となり、この世を「不思議の国」
と重ねているところである。(偽りに覆われたこの世に
理想を見出したい・・・)そんな詩人の渇望は、次の言
葉からも伝わる。 


  たくさんのデパートに囲まれた駅前は
  若者のオシャレと最先端の流行が交差して
  若者からご年配の方々まで楽しめる
  アミューズメント施設や
  癒し空間の実現も可能となった
  最先端さいせんたんサイセンタン\\\\\

  最先端の熟女パブ前をすり抜けて
  安っぽい笑顔をいくつもかわして
  異性交遊とアルコールに塗れた
  夜の市街地は欲の異臭がする
  少しだけ息を止めて駆け抜けるメインストリート
  目の中に星が流れるイルミネーション
  これを抜ければおうちに帰れる
  このまま息を止めれば全てから解放される

  私と息を止めれますか 


 世の人々が楽しむ便利な二十一世紀の日本・・・束の
間の欲望に溺れる人々・・・(そこに本当の幸福はある
だろうか・・・?)と詩人は心の中で問いかけながら街
を歩く・・・その姿に僕は「不思議の国のアリス」であ
ると同時に、「幸福な家の灯り」を探し求める「マッチ
売りの少女」をも連想するが、敢えてここに記すなら、
彼女は「不思議の国」の物語の主人公でありながらも、
アリス以上に、生身の体に詩人の魂を宿した「児玉あゆ
み」という世に唯一無二の詩人そのものである。
 偽りに覆われた街の中で密かに呟く(私と息を止めれ
ますか)という問いかけは、愛する誰かへの言葉である
と同時に、彼女の詩を読む(聞く)全ての人への問いか
けである。その「生と死」の狭間に、本当の何かを探求
して歩み続けるのが、児玉あゆみという詩人の本質だと
思う。

 この詩の中盤で、そのまま家には帰らず途中でBar
に立ち寄り、カウンターで独りグラスを傾けながら物思
いに耽る詩人の姿を想像するのだが、詩人という人種は、
「人といる時」と「独りでいる時」と二重の顔を持って
いるものだと思う。児玉さんもおそらくは、日常生活で
は二十歳の女の子としての面と、実はその仮面を取った
独りの時間では、全ての装いを取り除いた、詩人の魂の
みが、色づいて暗闇に光っているのが見える。そんな独
りの時間でグラスを傾けながら、過ぎ去った時間を追想
しながら、店を出てふたたび、家へと続く夜道を歩く。

 「月で餅をつくウサギ」の話をしたことのある恋人の
目が、別れる時は(ウサギの目をしていた)というとこ
ろで、涙目を連想するが、この世は時に、一人の人間の
力ではどうしようもないこともある・・・という哀しみ
と彼への言葉にならぬ思いが、次の言葉から伝わる。 


  何億光年前の光をわたしたちは見上げた
  月が光るのは発熱するからで
  わたしが発熱するのは
  あなたと同じ月を見ているから
  心の中に降り止まぬ月とあなた 


 そして、その後に「飛び跳ねるウサギ」のイメージが
繰り返し登場するメルヘンと切羽詰った情感で読み上げ
る意外な二重奏のような朗読も、大人の女性へと孵化す
る前の「アリス」の心情が見えるようで、この詩を聴く
人を魅きつける構成だと思う。 


  ウサギがぴょんぴょん駆け抜けて
  わたしは見上げて涙が零れた
  ウサギさんぴょんぴょん駆け抜ける
  わたしは息を止めてメインストリートを抜ける
  ウサギさんぴょんぴょん駆け抜ける
  わたしは一緒に息を止めてくれる人を探す
  ウサギさんぴょんぴょん駆け抜ける
  わたしはコンビニを二周回って
  ウサギさんぴょんぴょん駆け抜ける
  わたしはわたしとおうちを探して
  ウサギさんぴょんぴょん駆け抜ける
  あなたはウサギの目をして
  わたしの両手を強く握った
  何も言わないでそれ以上何も聞かないでそれ以上 


 (何も言わないでそれ以上・・・)という一言は、愛
と幸福を求める女の究極の言葉であり、詩人である彼女
にとっても、本当に大切なことは、言葉にならないので
ある。そして、言葉にならぬ何かを伝える為に日々を歩
み続け、うたい続けることが、児玉あゆみという詩人に天
が与えた使命だと感じる、詩人の魂(スピリッツ)その
ものが理屈抜きに伝わる朗読であった。  


  疲れ果てた体を引きずってエレベーターを降りたら
  そこは不思議の国
  わたしは 不思議の国の アリス 

       ・ 
       ・ 
       ・

  不思議の国にも空はあって
  そこには確かに月が照っていた
  あなたも同じ月を見上げた
  それを丸いといったときから
  それは丸になりました
  それを光と言ったときから
  それは光になりました


  ただいま


  おかえり








  さよなら 


 この詩を読み終えて、黒い小さな舞台から下りる時、
BensCafeはこの夜一番大きな拍手に包まれ、司会
をしている僕が舞台に上がる時、(今・「世界の何処にも
無い詩の夜」が実現した)と胸の内で感じた。 

 日々の現実をみつめれば、時に日常は色褪せてしまう
かもしれない。だが、この詩の最後で(それを光と言っ
た時から それは光になりました)と魔法のように語る言
葉を信じるなら、この世という「不思議の国」の物語は、
もし自分自身が光ると本当に信じることさえできれば、
ありきたりだった日々の物語は輝きを帯び始めるかもし
れない。 

 そして、彼女が人として、詩人として、本当に求めて
いるものは、人間の最もシンプルな言葉「ただいま」と
「おかえり」の間に湯気のように立ち昇るような、暖か
い愛と幸福なのかもしれない。 

 詩の最後に「さよなら」と小さく呟いた一言は、アリ
スを演じていた詩人が新たな物語へと踏み出す決意の言
葉である。これからの人生の旅路で、益々輝きを帯びる
であろう詩人の魂が「この世という不思議の国」で一体
何を見出し、どのような物語を描き、彼女の詩を待つ地
上の誰かに詩を通じて何を伝えるであろうか。

 児玉あゆみという詩人の心の夜空にはシリウスの如き
星が宿っている。哀しみを越えて力強く光るその星は、
決して消えることなく、人の心の夜空に灯り、これから
輝きを増すであろう。 








散文(批評随筆小説等) 「不思議の国のアリス」に尽いて 〜児玉あゆみ・覚書〜  Copyright 服部 剛 2008-12-26 13:27:03
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