異形の詩歴書 高校編その5
佐々宝砂

 高校二年に進級した私の環境は正直言ってあまりよくなかった。一年生のときロールモデルにしたいと思った教師とは接点がなくなり、非常に相性の悪い若い男が担任になった。まあ人気のない教師ではあった。いま思えばかわいそうだとも思う。なんしろ女子高教師27歳男独身なのに生徒に人気がなかったんだから (笑

 当時、普通の高校生が今もそうであるように、私は自分の将来についてちょっとだけ考えなくてはならなかった。少なくとも、進学か就職か、理系か文系か、それだけはどうしても決定しなくてはならなかった。進学校ではなかったにしろ、いくらかは四年制大学に進学している学校で、進学クラス自体もいちおう理系と文系に分かれて2クラスあった。だが私の得意科目はなぜか知らんけど理科と社会で、苦手なのが数学と英語で、まあ考えてみりゃわかるだろうが、こういうタイプは理系にも文系にも行けず悩ましいのである。たぶん今も私みたいなタイプは理系か文系か悩むだろう。

 学校で行った適性テストでもど真ん中の数値が出てしまい、教師はどっちでもいいだろうと無責任なことを言った。文系に進学したければ英語を真面目にやれ、理系に行きたければ数学を、と言われた。だが、私の英語の成績は惨憺たるものだったし、数学は(一年生の時は優秀だったものの)特に好きではなかった。自分が何になりたいかわからないなんてのは高校生のころには普通のことだとはおもう。思うが、このとき、私は、自分を理系または文系のどちらかに分類することを意図的にやめた。

 私はできるだけ理科と社会の学科を習得できるクラスに進級することにした。文系クラスでは理科系の学科をあまり学べなかったので無理矢理に理系クラスに入った。たとえ数学でついてゆけなくなっても、私は理科系の学科を学びたかった。特にどうしても地学をやりたかった。また、これは文系の学科だけれど、世界史もやりたかった。地学と世界史を同時にとることはなかなか難しかったのだけど、私は意地を張った。不思議なことにその意地は通った。へんな話だけれど、当時文系のクラスにいた中学時代からの私の友人(Sとしておく)はもっとわがままで、数学はいっさいとりたくないが社会関係の学科は全部とりたいとだだをこねていたのである。それに較べりゃ私の意地などかわいいものだったらしい。

 あまり得意でない英語か数学を熱心に勉強すべきだとは当時の私ですら思ったが、私は勉強熱心な生徒ではなく、勉強と称してFMラジオを聴いてることが多かった。私は夕方やってるNHKの午後のサウンドと、夜やってた民法FMのサントリーサウンドミュージックが好きだった。ぼつぼつテレビでも洋楽の番組がはじまっていた。野田秀樹の番組も聴いたように思う。私にとって野田秀樹という人物は、まずラジオのパーソナリティーだったのだ。

 確か二年生一学期の期末テスト前のことだったと思う。あのときのパーソナリティーは誰だったろう。私はもう思い出せない。彼はとにかく「アンチモラルの化身ドアーズのジム・モリソン」と叫んだ。私はなんとなくラジオを録音する気分になっていて、ほとんど何も考えず録音のボタンを押した。そのとき流れた曲を、私は生涯忘れない。それは"Light my fire"と"Moonlight drive"だった。声を聴くだけで恋をするなんてことがあるのだ。私はそのとき、ドアーズのボーカル、ジム・モリソンに恋をした。そして、恋をしたとたん、恋の対象がすでに死んでいることを知った。

 知りもしない人の死、それも全く自分に関係ない人の死にそれほどショックを受けたのは、あとにも先にもそのときだけのことだ。私はジム・モリソンの声に、確かに韻をよみとった。英語はちっとも得意ではなかったはずだったのに。しばらく遠ざかっていた詩というものを、私はジムの声によって思い出した。私はジムの言葉の意味の半分もわからなかったはずなのに。

 私はいまもおもう。あの邂逅はなんだったのだろうかと。私は16歳だった。まだ17歳になっていなかった。私には愛するものがなかった。強いて言うならSFだけが愛の対象だった。そんな私にとっての詩の世界のカリスマは、図書館ではなく書店ではなく、流れては消えてゆく送りっ放しのラジオから立ち現れたのだった。


散文(批評随筆小説等) 異形の詩歴書 高校編その5 Copyright 佐々宝砂 2008-12-17 04:37:45
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