文で人に喜んでもらう
K.SATO

理性だと言う口は閉じているが、書いた文が多くの人の笑顔になる光景をうっすらと水で描いている。原稿を取った人の口元に微笑みを得るには指先のコントロールがいり、キーを押す目玉への問いかけの繰り返しが常だ。小さな子が動作と尻餅の繰り返しによってひとつひとつの運動や言語、音階などを獲得していく様子に似ている。また、発語を汲み取って出す行為の継続には幾らかの小銭が必要になる。歩数を増やすのに何枚かのコイン、数枚の紙幣をポケットの隅っこやリュックの網袋に膨らませておくように。進むには常に買い込めるだけの食料が必要なのだろう。今日も棚から出したフライパンに、切り刻んだニンジンやピーマンの類を跳ね上げてはコンロに置き、燃焼する。豆板醤やみりんを、合間を見て流し込むと香りが充満し、完成が近づいてくる。逆をするのであれば、キッチンをまっさきに飛び出る。向かっていって小さく近づいてきた家の門からも、出る。きらびやかな装飾や声たちのする通りには悩みはないので、立ちつくしているだけでも幸せ。ぶつかったメインストリートには花屋がクロッカスやヒヤシンスなどの色々な香りや色彩の花々を軒先に並べ、シルバーの模様を貼った自動ドアはチリチリとした小玉のぶつかり合う音を拡散し、繊細な髪の毛をぐるっとロールさせたOLたちがどうですヵとささやく真っ白なロングコートでキビキビ行き交っている。僕はそれらのものたちを目や耳で切り抜いては張り合わせ、書きつづっていく。風景とモニタの文とを内側で照合した改行をカタカタ、リズミカルに繰り返し、時に述べた文を省みてはまた改行ボタンを押し下げる。地道な意識の継続よって全体は脈絡なくも、フェリーに入る駐車場の車が並んだ脈絡をなしていって並びだし、終着地点では理性と呼べる確かさを構築するのだ、と信じてはまた改行。小さなスキルの断片たちが底面からうっすらと見えるほどになり、積み重なっては山となり、さらされた団子のように固まることによって卑小な自分は人の役に立っていく存在になることだろう。そしてペンの運びは軽やかさをますだろう、多くの人たちの喜びによってこのしがない生活も少しは楽になることだろうと、信じている。


散文(批評随筆小説等) 文で人に喜んでもらう Copyright K.SATO 2008-11-23 01:07:39
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