石畑由紀子

私の右頬には
すぅっと一本の線があります

おさないころ
北海道でも有数の豪雪地帯に住んでいたころ
いつものように、母は
空とも陸ともつかない厄介な白と闘っていました、必須アイテムは
鉄スコップ
降り積もった白に突き刺してはすくい
すくっては放り投げ
を黙々とくりかえす母、の
三歳の娘は、いつもそばにいたかったのです
そして
母の背中はそれに気づかなかった、すくっては/放り投げ、/の
その瞬間に
鉄スコップの切っ先/は
三歳の娘の右頬をガツンッ と
氷の冷たさで殴ったのでした、あとは、倒れうずくまり泣き叫ぶ、娘、みるみる青く、腫れあがる頰と一緒
に青ざめて叫ぶ、母、抱きかかえ病院へ走る、白いカローラが巻き散らす白、たなびき舞い上がり私たち
の背中をのみ込んで、渦、巻いて、ゆく、白/と/、//

それはおさないころ


さいわい
打撲の内出血のみで切り傷にはならず縫合もしなかったので
針穴がつくような酷い痕にはならず、さらには
正面からでは意外と気にならない位置だったからか
娘は傷のコンプレックス無しに育ちました
というかそのあと自分でつくった生傷の数々ったらもう、おてんばだったからね

それでも、母の
娘をみずから早々に傷ものにしてしまったショックは想像に余りある
私には、娘はいないけれど
そのくらいのことは、
わかる

愛されて育ったのだとおもいます
たぶん

うまく吸収することは
できなかったけど


  *


私の右頬には
わりと大きな傷痕があります、真横に
すぅっと一本線の

おさないころ
世界はとてもわかりやすかった

あれから私には
わかりにくい傷もたくさんできました
ときどき、指先を透かして
ぽつぽつと点検してまわります


もっと
臆病になっていいのに


私はどうして
今も馬鹿みたいにまっすぐ走ってるんだろう
 (おてんばだったから、ね)

生傷は
痛いけど是が非でも避けたいとはおもっていない
馬鹿みたい
なんじゃなくて
馬鹿なんだとおもいます

痛みにうずくまる
痛くて
泣く

変わったのは
それらをひとりでできるようになったということ
多くをひとりでできるようになってしまったということ


傷を負うことでしか歩めない道があるなら


氷の風、矢尻を
凛と、頬で
受けとめる


  *


あなたに
傷はありますか
それは私に、
見えますか
見えませんか

知らせたいですか
知られたくないですか

それは本心ですか

ですか


それでいい


私には
見える傷と
見えない傷があります
これからも増えます

その
ほんのすこしを
いつか、

あなたに知らせたい


とおい
あの日の雪が
今も胸にたなびいている


私が
消えてなくなる前に
私に傷を
ください、







自由詩Copyright 石畑由紀子 2008-11-19 15:29:44
notebook Home 戻る  過去 未来