空の時間、断筆まがいと全容
れつら
なぜ詩を書くんですか、と言われると大変惨めな気分になっていやなのは、つまり詩を書くということに関してたいした理想も意義も見出せていないからなのだと思う。
仕事をはじめて、そろそろ幾許かの稼ぎも出だした友人たちを尻目にのんべんだらりと学生をやっているのは実に心もとないものだ。しかしそれを甘受している。そんな現状をここに記してどうなるものとも思わないけれど、まあ聞いてほしい。これは悔恨であるし、懺悔である。なんなら軽蔑してくれたってかまわない。ここまで書いておいて、ようやく話を始めることができる。そしてそれが僕の弱さだ。
夜中にパソコンと顔を突き合わせている時間は、ひどく揺らいでいる。そこに身を落とすことが、まずは僕にとっては書くということの最初の段階だ。僕は詩を書く、ということを意識しはじめてから、つまり、自分の書いたものを作品として取り扱いはじめてからずっとそのようにしてきた。
転機はいつだったろうか。とかく他愛もないことで、僕は時間をもてあましていた。いや、もてあましてなどいなかった。どちらも正解だ。より正確に言うならば、「もてあましたい時間」があったのだ。高校3年の時だったろうか。何もできない、いや、したくない自分を正当化する手段として、僕は書きはじめた。今ならそう言うことができる。以来現在まで、ずっとそのようにして書いてきたのだ。受験を控えたこの時期に何たる事かとは自分でも思った。正直に言おう。詩はただ、逃げ場だった。そして今もそうである。
一般的な学生よりやや遅れて、しかし大学を出ることがようやく現実味を増し始め、こんなことを書くということがどのようなことか。僕はけりを付けたがっている。この空の時間に。逃げ場である、ということは簡単に僕を許してはくれなかった。逃げるためには理由が要る。これは敗北ではなく転戦である、と他人に声を大にして言う、大義名分が要る。我々は価値のもとに生きていかねばならない。そう促す声がずっと鳴っていた。
詩を書くためには時間が必要である。それは僕やあなたが思うよりもずっと長く、果てしない時間である。まずはそれを身に染みさせる必要がある。時間は要るのであるが、作るものではない。在る時間、正確には現在という地点までに在った時間、その長さ、果てしなさを一身に受けなければ始まらない。これまで見たもの、これから見るであろうもの、その全てを請け負うというのは骨が折れる仕事だ。絶望的でもある。そしてその絶望は、甘美な絶望である。これまでとこれからを全て悲観し、それこそが私たちにとっての全てだと悦に入るに足るだけの、やわくて甘い揺らぎだ。
僕は自分で思うよりも遥かにペシミストであった。これは当然である。逃げ場は最期の場でなければならない。僕にとっての書くということは即ち、死ぬことと同義だった。自分の無価値と立会い、そしてそこに摂理を求める。何者にも許されず、かといって何者にも罰されずただ在る、その地点が詩であった。空、てんてんと転がる鞠のはずみ、公園のベンチにたたずむサラリーマン、その後姿が僕にとっての詩であった。
ほんとうのところ、僕には詩なぞ必要ない。
必要ないことこそが詩であった。
生きる、という時間を何に見ればよいだろうか。ある人は言う。労働に。ある人は言う。空に。僕はそのふたつを結び付けていた。空は、動きである。無は流れる。それをただ正当化するがために、自分の生を犠牲にしたと言ってもいい。その結果生まれ出でたものものを読んで、感動していただけた諸氏、あるいは過去の自分自身、彼らには申し訳ないが、そのようなモチベーションで書かれていたのだ僕の詩は。これは忌むべきことである。少なくとも生活者たる僕にとっては。箸にも棒にもかからぬ言説は、ただただ許す為にあった。なにものでもなく、最大の弱者たる自分を。情けない。僕はおそらく甘く死ぬだろう。このままでは。今日明日死なぬだけの労働をして、三日後以降のことは忘れて。それは幸福という名では呼ばれない。若く美しい肉体が朽ちる夜に、僕は無に抱かれるのだ。部屋いっぱいに堆く積もった、日々の無に。
では、
何を書こうというのか、これから?
心よわい人、わたし。ゆえに僕は必死だった。自分の作が何かであることに。偉大な何か。美しい何か。価値ある何か。やめだやめだ。空のために書くな。空を書け。わたしがわたしを証明するための文言ならば、これから先幾重にも重ねねばならない。運転免許証、学位、職務履歴書、源泉徴収、煙草ひとつ買うにも問われる、わたしはなにものであるか?馬鹿馬鹿しい。僕は甘んじてきた。その時間こそが僕だ。それを誰よりも僕は認めよう。このときに馬鹿馬鹿しさの質は立ち代わる。僕はグリッドに制約されない。切り分けられたフレームの中に収まるのは僕の部分だ。たとえそれが全体であったとしても、さしたる問題ではない。たまたまグリッドが僕より大きかっただけの話だ。空に浮かぶ鳥の姿を収める写真は、鳥の目の輝きを見ない。単にサイズの問題だ。距離感の問題だ。位相よ死ね。馬鹿馬鹿しい。苛立つな、その必要はない。僕はあらかじめ空である。そのために充分な時間は費やした。今こそはっきりと言おう、誰にも認められる必要はない。だから、認められにいこう。もう充分だ。
空のために書くな。空を書け。