ハイツユカリだとか、中町コーポだとか、なんだかそんな感じの名前のついたアパート
リヅ
とある町にとある平凡なアパートがあって、それはハイツユカリだとか、中町コーポだとか、なんだかそんな感じの名前のついた、べつにオートロックでなければガスコンロが二口あるわけでもなくて、ユニットバスだったか六畳一間のフローリングだったか、特にこれと言ってなんの取り得もないアパートなのだけれど、不動産屋さんの「最寄り駅から新宿まで電車で15分」という言葉によって、その平凡なアパートの三階にはやっぱり平凡な女の子が三人住んでいた、ということにする。なぜって、だいたいにおいて、物語はそういう場所でしか始まらないから。彼女たちは、三人ともそれなりに可愛くて不細工で、何処にでもいる女の子らしくおしゃれが好きで、恋はもっと好きだった。本当はそれぞれ、映画館でアクション映画を観るのが好きだったり、雑貨屋さんで外国のポストカードを集めるのが好きだったり、休日に一人きりでお昼寝をするのが好きだったりと、ちょっとした趣味を持っていたのだけれど、そんなのは誰でも持っている、本当にちょっとしたことだった。三人の女の子が平日の夜に――水曜でも木曜でもなんでもいい、けれど土曜と日曜はだめだ。それは平凡な女の子による、素敵な男の子のための曜日だから――安くて甘ったるいアルコールを片手に携えて、誰かしらの部屋で集まって話すのは、恋の話だった。そういうことにする。
一人目の女の子には恋人が四人いた。三人の時も五人の時もあったけれど、二人よりも少なくなることはなかった。それは彼女の「楽しいイベントは多ければ多いほどいい」という信念によるもので、いつでも刺激的な出来事に囲まれていたいと願う彼女は望み通りの幸せな日々をおくっている。頬の紅潮が絶えるはずもなく、その笑顔に吸い寄せられて、男の子たちが集まり、また彼女を幸せにしていくのだ。彼女の名前はなんでもいい。リカでもユキナでも。ただしトシコではいけない。ようするに、彼女が彼女に相応しいと思っていればそれでいい。さしあたって書き記すべきこととは、二人目の女の子と三人目の女の子は、常に新しい話題を仕入れてくる彼女の話を興味深く聞いていたということだ。
二人目の女の子は終わってしまった恋の話しかしない。それは彼女が「期待しすぎたり、その結果失望したり、そんな恋の最中よりも、いつかの思い出の方が綺麗」だと感じているからだ。彼女は恋人を追い払ってから――彼女に言わせれば“恋人が”去ってから――、一人きりの部屋で彼女は恋を振り返る。何度も思い返す。そしてきちんと整理する。美化していく。何度でも噛み締める。一人きりの部屋で。あるいは昼間のカフェで。夜のバーで。天気の良い午前の、大学のキャンパスかもしれない。彼女のため息を聞きつけて男の子たちが集まる。お姫様を助けて王子様になるために。そして彼女は終わりのための恋を始める。彼女の名前は思い出せない。よくある名前だから。一人目の女の子と三人目の女の子は、切なく美しい恋の物語を多少の羨望と嫉妬を抱きながら聞いていた。
三人目の女の子も恋が好きだけれど、なんとなくそんな気がしてはいるのだけれど、実を言うと、恋って現象がなんなのかよくわからないと思っている。二人の友人には言っていない。一人でこっそりと思っている。だけど、うん、そう。よくわからない、わからないんだけれど、もし、叶うなら―――もしも叶うなら、たった一人の男の子を、思いきり愛してみたい――。彼女はどこにでもいる女の子。名前のいらない女の子。こっそりとそんなことを思っている。愛することで何が起こるのか彼女は知らない。でも、何かが起こるのを待っている。
若草荘だとか、メゾンドそれいゆだとか、なんだかそんな感じの名前のついた、平凡なアパートに住む、平凡な女の子たちは、平日の晩、まるで決まりごとであるかのように毎週集まり、何度でも恋の話をする。もちろんそれがおしゃれの話であってもいいし、職場の友人や帰り道ですれ違ったノラ猫の話でもいい。そんなのって、とってもよくある話。
彼女たちが無駄話に花を咲かせる一方で、いくつかの物事は徐々に、ゆっくりと、しかし着実に進行している。例えば一人目の女の子を自分だけのものにしたいと思っているとある男の子が百二十一枚目の便箋に愛を綴っている。例えば二人目の女の子に捨てられたとある男の子が自忘自失のままバタフライナイフを購入する。例えば三人目の女の子の運命の人が、彼女の住むアパートの二階へと引っ越すために荷物をまとめ終える。例えば―――しかし、わからない。何が起こるかは。実際に起こってしまうまで、誰にもわからない。
鍵のかかった、その平凡なアパートの屋上に、神様がたたずんでいる。彼は思う。すべてのことは起こりうる、と。「よくある話だよ」。―――そう、三人の平凡な女の子。彼女たちの住むアパート、過ごす時間、好きな男の子、読んでいる雑誌、嫌いな食べもの、それは別のありかたとして、すべて、同じ、私たちの。
三人目の女の子は待っている。何かが起こるのを。何かと出会うのを。だいたいにおいて、物語はそういう場所でしか始まらない。あるいはもう始まっているのかもしれない。言葉では語られないまま。
夜も深まり、空いたボトルが何本か部屋に転がっている。この物語は何も起こらないままもうすぐ終わるけれど、三人の平凡な女の子たちのお喋りはぐんぐん加速していく。まるで泳ぎを止めれば死んでしまう回遊魚のように。何か大事なことを隠すように。笑いの絶えないこの場所には語られない言葉がある。それでも、彼女たちのお喋りは留まるところを知らない。