昨日は孤独な世界②
錯春
混乱と欲望はとても仲が良いことを理由に疾走する視点について。
マリオは疲弊していた。指名が途切れてようやく休憩にありつけた彼女は、他の女の子逹とべちゃべちゃ話すのが嫌でひとりぼっちでビニールマットレスの上に体育座りをしながら、冷凍食品のエビドリアを手掴みで食べていた。
彼女の口はたった15分前も白いべちゃべちゃしたもの(それは男が放出したものであり、彼女はそれを吐き出す)を受け止めていた。
今も口の中には白いべちゃべちゃとしたもの(それは清潔な工場のラインで製造されたもので、彼女はそれを吐き出さない)を頬張っている。
マリオは口の中にホワイトソースを溜めながら、そっと窓を開けて空を見る。
(今頃、私の小学校時代の同級生のうち何人が洗濯物を干して昼ドラを見てるのかしらん)
マリオは半月前に同棲していた男と別れたものの、今更守るべきものなんて無いので、未だに名前も知らない他人のペニスを口に含む仕事を続けていた。
大体の男逹は彼女を説教する、又は馬鹿にした(男逹は嘲笑えない存在を愛せないので、その点において彼女は愛玩されやすい性質だった)
マリオは裸の尻の下に、湿ったビニールマットレスが貼り付くのを感じる。
(なんでもっとはやいうちに、沢山本を読まなかったんだろう。あのときの自分に言ってやりたい。今頃後悔してること)
彼女は間違っても自分がいましている仕事の不潔さや後々どう感じるかについて考えあぐねたりはしなかった。
それは聡明さの証でもある。
その証拠に、彼女は幼い頃からちゃんと本を読んでこなかったことを何より後悔していた(今、彼女と同じ年齢でそんなことを本気で思う女の子が何人いるだろう)。
そして自分が頑丈で、他愛ないセンチメンタリズムで見せしめにリストカットをしたりしないことを知っていた。
(やんなるわ。泣けもしないのよ、空が青くても恋人がいなくても。ああ、あの娘なんて他人のちんぽと愛情を混同しちゃって振り回されちゃって、深夜の新宿カラオケ舘のトイレで泣きながらゲロっちゃってたぐらいなのに)
マリオは名前も思い出せない皮膚が不自然に弛んだ女友達のことを思い出す(名前が思い出せない相手が友人としてカウントされるか否かについてはまた別の話)
気が付くと、いつの間にか口の中のドリアは消えていた。
意識しなくても、身体は食物を飲み込めるのだ。
(私、こっからの人生で悲しくてゲロ吐くくらい泣くなんてことあるのかしら、なんて。多分、いやぜったい?いーや、ずっとねーよ)
自分で自分を卑下しても、涙が溢れないのは、マリオが巷の女の子と同等の幸せにありつけないことの証だった(何故なら大体の女の子はヒロイズムに弱いから、一番心地好く泣けるのは自分で自分を哀れむことだ)。
彼女は稀に思い出す。
中学時代にとことん苛めぬいた同級生のことを。
あのときほど、周囲の期待に沿う行動をしたことがあっただろうか?
そして、自分がどうしたらギャラリーの皆さま方(いじめられっこ含む)を愉しませられるか、考えたことがあっただろうか、と。
(何が悪いことで、何したら地獄に落ちるか、わかんないなあ。今だって、ビニールマットも嫌いじゃないし、ご飯は食べれるし、別に不幸じゃないからバチが当たったって思えないし)
そもそも、彼女は大概のことでは傷付かない、傷付くことができない。
都合良く傷ついたふりをして、悦に入ったりできない。
でも、世の中に何人の人が、自分のしてきたことを、ここまで素直に受け止められるだろうか。
そして、彼女はきっと簡単には愛を得られないだろう(巷には勘違いと考え違いを導火線にした恋愛が呆れるほどドラマチックに大手を振っているから)
その代わり、真実の愛という、天然記念物みたいなものを手にする権利を持っている。
それも彼女がビニールマットレスの上に飽き飽きしてから(また飽き飽きすることができれば)の物語。
カンスケはベランダに座っていた。
びたみんでぃー、は、日光浴しないと作られない。
そんな理由をあとづけして、今の状況を楽しもうと努力していた。
部屋の中では、友人カップルが仲直りのセックスの最中で、別に仲間に入っても良かったが、正直そんなに好きなことでも無いので、こうしている。
カンスケは、タバコも酒も読書も出来ない自分を、こういうとき本当に嫌になる。
さっきまで暇潰しになると思ってやっていたセックスは、友人カップルのセックスが始まったことで中断になってしまった(友人カップルの女の子の方がねだるので、カンスケは何となくセックスを始めてみたのだが、途中で友人カップルの男の子の方が泣きながら訪ねてきたので、急いでパンツをはき素知らぬ顔をしなければならなかった)
(不完全燃焼は一番いくないのよね)
ポケットに入っていたミルキーを舐めながら、カンスケはズボンの中で萎え掛けのペニスを思い出す。
彼の顎は尖っていて、浮かび上がる骨は茎のようだった。
「生々しくないこと」は彼の魅力であり、また愛されにくさでもあった。
彼は、性別問わず、何人かの人間と恋人になったことがあった。
それは彼が優しくて、その気になれば誰とだって恋愛ができたということになる。
つまり、誰も愛していないから、誰だって愛せるということなのだ。
(超超超超超ヒマ。なんだってこんな良い天気に、俺は朝から女の子の涙を見たり、行き場をなくした精子をなだめなきゃなんないんだ。あーあーあ、せめて料理ができればいーのにな。あいつらが済ますまでに、俺は美味いカルボナーラをこしらえてやんのにさ)
カンスケは心の底から友人カップルのセックスが早く終わることを祈った。
彼は優しいが、他人のセックスに対して、どうしても辛口に批評してしまうのが人間だから、その苛立ちも致し方無かった。
(なのに、カンスケの安いパイプベッドの上では未だ合体の気配は無く、いまだにねちっこいシックスナインが繰り広げられていた)
彼は思う。
なんて、人間のセックスは、グロいんだろう、と。
また彼は思う。
でも、動物だって言ってることが解らないだけで、言語が同じだったら、同じように気味がワリイもんなんだろな、と。
彼は「えーぶい」が嫌いだったが、自分がセックスをするのは可能だった。
何事も、自分が関わると、冷静に見れないから。
彼はそこらへんの微妙な心理を、熟知していた。
(ここで「本当はお前のことが好きなんや!」って、この窓を思い切り開けたら、あいつらびっくりして膣痙攣起こしたりするかしらん)
愚弄なことを考えながら、カンスケは向かいの大きな一軒家を眺める。
一軒家には、色素が薄い、線の細い、顎が尖った、浮かび上がった骨がシャーペンの芯のような、そんな子が住んでいた。
つまり、その子が男か女か解らなかったが、そんなことはカンスケにとってはどうでも良かった(実際彼はどちらともセックスの経験があった)
ピンと来たのは、自分と似ていると思ったからだ。
人は似すぎていると愛し合えないが、そこそこ似ていないと会話すらできないことを彼は知っていた。
(部屋の中では、唇をアルファベットの「O」の形に歪ませた女の子が、何らかの後ろめたさによって、男の子のペニスを膣で絞り上げようと、両足をピンと伸ばして脂汗を流していた)
カンスケは口の中のミルキーがいつの間にか消えていることに気付く。
無意識でも、人間は食物を飲み込めることにも、同時に気付く。
空は雲ひとつ無い。
なのに、別段美しいとも思わない。
肌の上ではびたみんでぃーが生成されていく。
要は完璧な悲劇に遭遇できないことが、僕らの悲劇の最たるものだ。
なんて、
ちんけなリアルを呟いて安心できるほど子供ではない。
(ベッドのバネが軋む音が静まる)
カンスケのペニスは痛いほど勃起していた。
向かいの大きな一軒家のあの子と、一発ハメテみたいと、無意識に願ったからだ。
彼は自分のペニスを「困ったもんだ」と軽蔑する。
(ああそうですよ、あの子とエッチしたいです。明日のゴミ出しのとき、偶然会えたりしないかな。そしたらなるたけ人懐こい笑顔で挨拶しよう。不純でしょーか
神様?)
誰も咎めたりはしない。
もとより、多くのことは今更咎められたりはしないのだ。
神様をみだりに呼んだりしても。
それでなくても彼の願いは純粋だ。
「ホテル代、昼飯おごってちょ」
カンスケは窓を開けて、下着だけをまとった友人カップルに笑いかける。
なぜ、彼は窓を全開にしたか。
ただ単に。
空気の入れ換えをしたかったからだ。
精液と潤滑液と唾液の臭いが染み付く前にすみやかに。