恋した女は詩の中に 〜合唱曲へのご招待〜
北村 守通

現在、20歳と211ヶ月のワタクシは、彼女居ない暦32年くらいになる。正確な年月は数えると気がめいるので、だいたいそのくらいにしている。
 その間、色恋なんぞに胸を焦がされなかったか、というとそんなことはなくただ結果的に落選が続いているというだけだ。大体、ワタクシは女性の涙というものにヒジョーに弱い。わんわん泣くのは駄目なんである。お酒の席なんかでツツツーっと一筋流れる流体、あれに弱いんである。それは知人達に言わせると「だまされやつい奴」なんだそうであるが、もう今更それをどうせい、と言われてもどだい無理なんである。
 まぁ、涙とまでいわなくとも、影のある女性というのは何かワタクシの背中をビビビビビ!と電流を這わせるはかない美しさというか何かがあるのである。映画「チャイナタウン」のフェイダナウェイとかも綺麗だったなぁ・・・と、こんな風につい、ほろりときてしまうのは何も3次元の実在する人間に対してだけとは限らない。文字の世界の中にもそうした女性たちは数多く描かれていて、中でももっともワタクシが胸掻き毟られた女性が草野心平の「石家荘にて」という詩に描かれる娼婦なのである。
 この「石家荘にて」との出会いはやっぱり合唱だったのである。男声合唱を代表する曲であり、今なお多くの合唱ファンに愛されている曲なのである。(作曲は多田武彦)この「石家荘」というのは餃子の農薬混入事件で有名になった中国のかの地なんである。と、えらそうに述べたが、実はこの紹介を書くにあたってネットで色々検索していて初めて知った・・・(しかも”石家荘”でなくって”石花荘”と覚え間違いしていたり、どこぞの宿のことかと思っていたのです・・・切腹!)そう、これは草野心平が中国大陸に渡っていたころのお話なんである。
 え?そんなに美しい女性ならば会わせろですって?こんな女性です。

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  「石家荘にて」


  茫々の平野くだりて。
  サガレンの。
  潮香かぎし女。
  月蛾の街にはひり来れり。

  白き夜を
  月蛾歌はず。
  耳環のみふるへたり。

  ああ。
  十文字愛憎の底にして。
  石家荘。
  沈みゆくなり。

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なお、こちらの詩は音楽之友出版社から出版されています「多田武彦合唱曲集4」から引用させて頂いています。どうしてかっていいますと、この「石家荘にて」という詩が入っております詩集がワタクシにはどうしても見つけられないんであります。(話によると、「大白道」に入っているとの話なのですが、これを見つけることができないでいるのであります。)しかしながら、この女性、「日本砂漠」という詩集の中にやっぱり登場してきます。そちらも紹介させていただきますと

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  「月蛾」

        豆ランプかすかにとぼり。十八の。月蛾の耳環ほのかなり。
        石門の荒れた茶館に。黙黙の旅の涯なり。

  ああ。
  音のない。
  とほい。
  稲妻。

  消えてはおこる桃色の。
  はるかなる。
  天の動脈。

  爪ひかる。

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こちらは岩波書店から出版されております「草野心平詩集(入沢康夫 編)」より引用させて頂きました。なお、「石家荘にて」で出てきております「サガレン」とはサハリンのことで、「月蛾」とは「夜の光に集まる女性達 → 娼婦」ということなのだそうです。
 いかがでしょうか?
 え、顔見せていないじゃないかって?
 これ、ワタクシの経験上の推察でしかないんですが・・・語り部はこの女性が余りに魅力的過ぎて顔を正面切って直視できなかったと思うんですよ。だから、横からしか顔を覗けないから「耳環」が彼女の象徴になり、正対したときにはうつむいてしまって爪しか見れないんじゃぁないかって。あるいはその魅力を輪郭で描こうとすると嘘になってしまって、それで描いていないんじゃぁないかなって。
 そう考えると、この語り部のシャイさ、というかウブさがもの凄く伝わってきまして、単に読み手だけでしかない筈であるワタクシの左胸の中のコブシ大もドックンドックンと波形が荒れてくるわけですよ。頭の奥では雷ですよ。(注:あくまでワタクシの妄想でありますのでご注意ください。)故郷サハリンからはるばる流れ、大陸という孤独「石家荘」にたどり着いた女性、一夜限りの色恋が繰り返される歓楽街の中にあって様々な顔を持つのでしょう。そしてそのどれもが本物の彼女なのでしょうが、その本流はいったいなんなのでしょう。光が邪魔になって見えません。その光の裏側にある彼女を見つけ出さなければ、たぶん彼女の顔を正面から見据えることはできないのです。

  ああ

 いつしか顔のない彼女に虜になっているワタクシがおります。阿呆です。彼女のことが忘れられません。時に彼女を探しに出たことも度々あります。しかし、やはり未だ見つかっておりません。時々月蛾に想いをはせて、それを詩にしたりもしています。もしも、ワタクシの詩らしきモノを読むことがあって「月蛾」という言葉を見つけることがありましたらば、それはここ石家荘の彼女なのであります。また、そうした歓楽街の入り口を描いたりもしています。ああ、それでもやっぱり彼女には会えないでいるのです。

合唱曲よ、あなたという方は罪なお方です。皆さん、合唱曲とは、詩とは時として魔性の存在であります。耳を傾ける際には是非是非ご注意のほどを。


散文(批評随筆小説等) 恋した女は詩の中に 〜合唱曲へのご招待〜 Copyright 北村 守通 2008-09-22 23:51:04
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