多重化してゆく夢の記録
佐々宝砂

【シーン1】
舞台は海外。時代は現在。学会の会場のようなところ。会場は満員。夜。カメラはまず会場を俯瞰し、それから屋根に近い高く大きな窓へ。その窓を外側から割って、光り輝くような女性がスローモーションで入り込んでくる。人種不明のその顔は若々しく、長い白髪はうしろになびき、表情は恍惚として、女神のようだ。空中を滑りながら会場中央の空中で停止し、さしのべた手の元に、銀色の縦の円盤があらわれる。女性はそれを触らずに操る。カメラは次に反対側の窓へ。今度は一人の男性が窓を割って入ってくる。黒髪に茶色い目、ヒスパニックだ。少し頼りなげな表情で、自信がなさそうだ、コマ落としのようにぎくしゃくと、空中をおっかなびっくり歩いてくる。銀色の円盤が、男性の手に渡される。彼は、その円盤を操ることができない。別なカメラが会場を写す。女性が白い液体を満たした大きな瓶を抱えている。歩いて会場に入ろうとしてきたごくふつうの女性だ。そこに会場の中から走りかけてきた男が体当たりする。瓶が割れて、白い液体がこぼれちる。画面はホワイトアウト。

【シーン2】
舞台は「この次元の日本」ではない日本。時代は昭和初期? ロシアでは革命が起きず、日本とロシアは軍事的に協力して、アジアを支配しようとしている。そんな世界である。手持ちカメラの目線。十代半ばと見える少女が一人、アパートの共同水場で、毒薬を飲もうとする。そこに母親がやってくる。「本を十冊いただいたから、お読みなさい」と言う。本好きな少女は毒薬を飲むのをやめて部屋に戻る。十冊の本のうち、一冊だけ粗末なザラ紙でカバーがつけてある。「汚しちゃいけないから、とりあえず一冊だけ紙で包んだわ」と母親が言う。「じゃあそれから読む」と少女がとりあげたカバー本は第二巻。

【シーン3】
シーン2と同じ舞台。時代はすこしだけ前。少女の兄が官憲にとらえられ、拷問を受けている。拷問が突然中断され、いぶかしい表情のところに、彼と幼なじみの男が軍服を着て入ってくる。「無罪放免にしてやるぞ、ただし条件付きだ」……独房で苦悩の表情の兄。画面かわる。少女は暗い表情で、当時流行の服に身を包み、軍服を着た男に伴われて彼の家に入って行く。妾として。また画面かわる。釈放された兄は、地下組織からひそかな連絡を受ける。手渡されたのは印鑑と「四−十三X佐々宝砂」と書かれた小さな紙。兄は賢明に考える。街を走る、地図に当たる、これは何の数字だろう? 彼はとある貸金庫で、「四−十三×佐々宝砂」という番号を見つける。貸金庫に入っていたのは、十冊の本とビデオテープと小型発電機とビデオ付きテレビと説明の書面。彼は説明に基づきそれらを接続し、自宅でビデオをみはじめる。

【シーン4】
ビデオの最初の方にはアニメが入っている。坂を転げ落ちゆくカバのアニメだ。昔のアメリカのアニメに似ている。日本の古い音楽も入っている。曲名はよくわからない。明るくて古くて調子がよくて脳天気な唄だ。そのあたりは早送りしてくれと説明書にあるのだが、彼はついつい画面に見入ってしまう。長い時間が経ってから、彼は十冊の本を荷にまとめ、母と妹の住むアパート宛の住所を書き、自分の親友宅を訪ねその荷物を親友に託す。画面かわって妾となった妹が、暗い部屋の布団の上で泣いている、そのまま、フェイドアウト。

【シーン5】
シーン1と同じ時代。同じ国。夜に近い夕刻。カメラは風光明媚な小さな島を俯瞰し、その島の小さな街が写され、だんだんクローズアップされてゆき、最終的にひとつのガソリンスタンドを写す。ごくふつうの日常的風景、ひとりの女性が自分の車にガソリンを入れている、そのとき、突然、何かが起きる。あるいは起きたのか。島の山手のどこかから巨大な何かが立ち上がり、その山の方角から白とも灰とも青ともつかぬ不気味な色の何かがじんわりと空一杯に広がってゆく。あたり一面が白く輝き、地面にこぼれていたガソリンが燃え始める。画面はストップモーション、ガソリンを入れていた女性の独白が聞こえる……「あれは、はじめての経験でした、何が起きているかわからなかったにしろ、なんだかとてつもないこと、とりかえしのつかないこと、恐ろしいことが起きているのだと思いました。いまこれから私は死ぬのだ、と自覚して、自覚したとたんに時が止まったようでした。まるで映画のストップモーションみたいに。」

【シーン6】
シーン1と同じ舞台。学会の会場のようなところ。会場は満員。夜。カメラはまず会場を俯瞰し、それから屋根に近い高く大きな窓へ。その窓を外側から割って、ヒスパニック系の男性が入ってくる。自分にはやるべきことがあるのだと決意した人間に見られるような毅然とした表情で、空中をゆっくり滑りながら会場中央の空中で停止する。さしのべた手の元に、銀色の縦の円盤があらわれる。男性はそれを触らずに操る。カメラは次に反対側の窓へ。今度は一人の女性が窓を割って入ってくる。白髪に灰色の目だが、顔は若い。今こそそのときなのだと確信した人間にしか見られないような表情で、空中をゆっくり滑りながら会場中央で停止する。銀色の円盤が、女性に渡される。彼女はその円盤を触らずに操り、円盤を会場の玄関口に落下させる。会場の中から走りかけてきた男が円盤にぶつかり、倒れる。そこにごくふつうの女性が白い液体を満たした大きな瓶を抱えて会場に入ってくる。

【シーン7】
シーン6の続き。会場の中空での出来事などなかったみたいに会議がはじまる。白い液体を満たした瓶が検査され、その検査結果が公表されている。OHPが写す難解な科学的説明。どうやら二組の派閥が争っている。片方は汚染があると主張し、片方は汚染などないと主張しているが、牛乳らしきその白い液体が汚染されているということは、誰の目にも明らかなのだ。勝利を確信した陣営から拍手喝采が湧き上がる。

【シーン8】
シーン1と同じ舞台。学会の会場のようなところ。会場は満員。夜。カメラはまず会場を俯瞰し、それから屋根に近い高く大きな窓へ。その窓を外側から割って、光り輝くような男性がスローモーションで入り込んでくる。ヒスパニック系のその顔は若々しく、黒髪はもつれうしろになびき、表情は恍惚として、バッカスを思わせる。彼は空中を滑り会場中央まで行って停止し、さしのべた彼の手の元に、銀色の縦の円盤があらわれる。男性はそれを触らずに操る。カメラは次に反対側の窓へ。今度は一人の女性が窓を割って入ってくる。白髪に赤い目、人種不明だがアルビノだ。少し頼りなげな表情で、自信がなさそうだ、コマ落としのようにぎくしゃくと、空中をおっかなびっくり歩いてくる。銀色の円盤が、女性の手に渡される。彼女は、その円盤を操ることができない。別なカメラが会場を写す。女性が白い液体を満たした大きな瓶を抱えている。歩いて会場に入ろうとしてきたごくふつうの女性だ。そこに会場の中から走りかけてきた男が体当たりする。瓶が割れて、白い液体がこぼれちる。画面はホワイトアウト。


              ***


【独白―わたし】
宵闇のなか、ふわり、とわたしの身体は浮かび上がる。慣れてしまえばこんなこととても簡単。でも彼はまだ慣れていない。それはしかたがないわ、だって彼は今日がはじめてなんだもの。さあ、行きましょう、窓が割れる、蓋然性のひとつとして、それがそのようであるほんのわずかな確率にのっとって、窓が割れる。でも誰一人わたしたちを見上げない。会場の人々は、たまたま音を聞かなかったの。たまたま、わたしたちを見なかったの。わたしは蓋然性のうえを滑りながら銀盤をくるくる回す。ぎくしゃくしながら彼がやってくる。彼が失敗することはわかっている。でもこれはひとつの可能性に過ぎない。私は彼にささやく、これはひとつの可能性に過ぎないのよ、あなたが失敗することはわかっていたわ、落ち込まないで、わたしはもう知っているの。わたしたちは、成功するのよ。わたしたちは、あの事故を防ぎ得るのよ、成功するのよ。ひとつの可能性として。


【独白―私】
ロシア革命が起きなかったということは、この世界、私佐々宝砂が生きる世界が舞台ではない。ではここはどこだろう、私の夢であることは明白だが、私は自分が夢見ていることを知りながら、夢の舞台を操作することができない。いや、簡単にはできない。私の眼前で、三つの物語が錯綜している。一つは、アメリカを思わせる土地での事故、おそらくは放射能事故を巡る物語で、多重世界をテーマにしたSFだ。そちらの物語ではロシア革命があったのだろうか、なかったのだろうか? 判然としない。もう一つの物語は、ロシア革命がなかった世界の、日本の、お涙頂戴物語だ。非合法活動に従事する兄と、兄を救うために妾になる妹と。さて?

残るひとつの物語が私の物語だ。それは、二つ並んだ画面のように展開されている。まさに画面だ。片方の画面では私の祖母が素っ裸になって「お祭りマンボ」にあわせて踊っている。もう片方の画面では、アニメのカバが転げ落ちている。なにものかわからないがやたら声高に明るく、誰かが演説している。なんという調子の良さ。私はどちらのビデオ画像も恐ろしく長いものであることを知っている。私の記憶すべてが詰まっている可能性すらあると考えている。この二つは、もしかしたら、私の右脳と左脳だろうか、と夢見ながらも私は。

夢の中の登場人物にビデオを送る。それが可能だとは思わなかった。驚いた。私はハラハラしながら兄の一挙手一投足を見つめる。私のどうでもいいビデオの部分なんか見るんじゃない、おまえにはやることがあるんだぞ。妹を救え。本を送れ。妹が毒を飲もうとする瞬間、おまえはもう死んでいる、私はそれを知ってる、だから私は事前に知らせなくてはならなかった。本を託せ。最も信頼おける友に。母親は本の二巻目にカバーを掛けるだろう。一巻目ではいけない。二巻目だ。それでいい、それがいいのだ、それでうまくいくはずなのだ。だが私は結末を見届けることができない。なぜだか私はそれを知っている。


【独白―おれ】
自分にできることと、できないことがわかっている。空を滑ることは可能になった。というよりも、それはもともと可能性のひとつに過ぎない。おれの下で、とてつもなく低い確率で、しかしゼロではない確率で、一瞬空気の分子すべてが停止する。おれの身体は、だから空気が海の波か何かであるかのように空中を滑ってゆく。彼女のおかげだ。彼女が教えてくれた。次回からはおれが彼女に教えることになるのだろう。窓を割って彼女が入ってくる。彼女は自分の容貌を変化させようとはしなかったが、目の色だけは変えたらしい、不透明なガラスのような灰の目だ。彼女はこれまででいちばん魅力的だ、これまでの彼女はあまりに神々しすぎた。おれと彼女の時間軸は逆転している。おれはおれがこれからどうなるかを本当には知らない。だが彼女が教えてくれた、おれたちは、成功するのだ。今まさに。この瞬間に。偶然に。ひとつの可能性として。



散文(批評随筆小説等) 多重化してゆく夢の記録 Copyright 佐々宝砂 2004-07-27 13:31:56
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