はじめに
影山影司
[熱を低温の物体から高温の物体へ移動させ、それ以外に何の変化も起こさないような過程は実現不可能である]
科学者クラウジス(クラウジウスの原理)
[美はあらゆる所に]
芸術家ロダン
全ての感情は全ての混乱の源である。よって、全ての感情を捨てることで我々ピーポーは平和に統治される。感情崇拝者、通称芸人は処理されるべきだ。小学生だって知っている糞みたいな糞教訓を忘れた糞蛆虫共を我々はぶち殺さねばならん。
抑制された感覚の下で、うずうずと耐えようのないものが頭を抱えている。
「救護兵、薬だ。薬をくれ。朝飯の時に飲み忘れちまった。それと、昼の分もくれ。俺達の分隊はこれから極秘任務にて、小隊監視下より離れることになる。なぁに夜には帰ってくるさ、絶対にな」
救護兵は黙って銀膜に覆われた薬剤を二回分キッチリ切り取ると投げて寄越した。
「ありがとう救護兵」
「クリスだ」
「ありがとう、クリス」
クリスは既にでこぼこの地面を走り出していた。俺のことなど、昨日の晩飯程度にしか憶えていないだろう。俺もそうだ。お互い、今の会話が嘘だらけだって知っている。極秘任務だなんて嘘。夜になれば帰ってくる、というのも嘘。朝、薬を飲み忘れた。これだけ本当。
二回分の薬を押し出して奥歯で噛み砕く。十分もすれば脳味噌はシンプルにクリアーを迎える。我々ピーポーの持つべき精神を会得する。「軍曹、俺にもくださいよ」後ろを振り返ると薄汚れたクリスが……いや、同じ野戦服だがこいつは。鈍重の鞄に、そこから突き出たアンテナとリール。「通信兵、最前線で敵を殺せるようになってから言うんだな」口を開けてベロを上下させると、通信兵は兜を一層目深に被って敬礼した。
ふと、銃声が響いた。ビルとビルの隙間を縫って、ノイジィ。
「通信兵、どっちだ?」
「南東、一、二、キロであります。第二小隊が隠れ家を発見したとのことです。秘匿物有り、敵の数不明です」
続く続く続く、連続して銃弾の音がする。肩にかけていた銃器を握り直して駆けだした。「急げ急げ急げ急げ、通信兵。おまえが死んでも誰も悲しまないが、奴らを取り逃したら主が悲しむよ」