僕にとっては日常的な作業なのだけれど、一般的にはそうではないのだろうか、と思った。絵描きやデザインを行う人にとって、2次元化、3次元化、の変換さらに4次元、などといった変化は日常の作業であり、美大などに進むために勉強をしていると、想像だけでデッサン(この場合形態スケッチなど)を行うという試験まである。それほどに日常なのだ。だから、という訳ではないが、美大生にオタクと呼ばれる人種は確かに多い。2次元のアニメを頭の中で自由に動かす事が容易だし、絵という物自体に取り付きやすいから。
オタクは日本に現れる特異文化、というわけでは無いだろう、と思ってみる。実際に多国籍のオタクが存在するわけだし、日本人より遥かに深い知識を持つ人も多くいるのだから。ではなぜ、日本人がメインだと思われるのか、日本文化だと思われるのか。そもそも、オタクって何なのだろうか。
「オタクとは、社会的認知度が高くない趣味に傾倒する人の一つの類型またはその個人を示す言葉である。」
wikiによると、上記の様な内容が出てくる。「社会的認知度が高くない」という箇所がまず気になる。例えば、ドラゴンボールなどのアニメに傾倒しても世間的にはオタクだと呼ばれるのでは無いだろうか。また、マイナーな作品に傾倒している者でも、コミケットなどに行くとかなりの数の作品が並び、しかも完売していたりする。日本規模で見てみても、インディーズのバンドの追っかけなんかをしている人達より、よっぽど認知度は高いのでは無いだろうか。
では、何が、問題か。多分そのオープンさ、なのでは無いだろうか。日本人の中にある、人と違う事を「恥ずかしい」という感情。これが、日本がオタク大国となり得た所以ではないか、と僕は思う。それはどういう事かというと、外国の祭りなどもそうだが、個性の扱いとしても、人と違う事、というのは、あちらでは「恥」ではなく、むしろ「表現すべき個性だ」という文化がある。その為、ディスカッションなどをしても、わざわざ対立する意見をぶつけてみたり、それによってお礼を言われたりする。対立も厭わない、という文化なのだ。それに比べ、日本の根底の文化とは、慮る、汲み取る、など、相手との対立をさけ、はっきりとした明言をさける文化ではないだろうか。その、秘匿される文化、公に出されない文化というものと、当初”あまり一般的にされていなかった趣味”というのが相まって、オタク文化となったのでは無いだろうか。従って、外国のオタクと言われる人たちは往々にして明るいし、オープンな気質を持っている、様に見えるのに対し、日本のオタクはどこかマイナスなイメージが強い。それがさらに拍車をかけているのだとも思う。だから、アイドルなどがオタク文化に涼風(あえて涼風)を吹き込んだ事に対し、世間の目が和らぎ、さらに、一般的なラインにまで近づいたのでは無いだろうか。
僕はあまりネットで2ちゃんなどを見ないので、なんとも言いがたいのだけれど、2ちゃん気質という様な、表現しにくいのだが、ネットならではの空気がある、と思う。それも、もしかしたら、そういったオタク文化に近いものなのかもしれない、と思っている。世間的にも、そう思われているのでは無いだろうか、オタク=2ちゃん、という考えもあるのでは無いだろうか、と思っている。
さて、そういった人に何かを広く伝達する手段として「印刷」というものがある。他にもテレビやネットなどの映像、立体作品としてのドールやフィギュアなど様々あるが、印刷物が身近だし、僕自身印刷に関わる職業をしているのでそれについて話をしようと思うのだが、印刷物と一概にいっても、対象年齢、性別、業種、様々なジャンルがあり、その先さらに、趣味、し好など細かくジャンル分けされていく。そして安価にすべてが行われていく。同人誌などはその最たるものである、と僕は考えているし、実際、同人で番組をつくりテレビで流すにはお金がかかりすぎるだろうから、やはり、印刷というものは手の出しやすい媒体なのだろう。
僕自身、人からオタクだと呼ばれる人種のひとりなのだが、オタクのもう一つの定義、というか、よくいる、というのが「自分の知っている内容を人に伝えたがる」という事だと思う。しかし、そういった知識は、割にアニメやら電子機器系に偏っている人が多いため、あまり人に伝える機会が無い。だから、ブログや同人誌、といった物で、自己主張を行うのでは無いだろうか。
実際に製本、同人誌作成などをされた方なら経験があると思うのだが、ネットやブログで掲載するのと、実際本になった書籍として手にするのでは「してやった感」に、雲泥の差が生まれる。だからこそ、同人誌師は繰り返し、読み手もリピーターになりやすい。自分と共通のし好の限定本だから。そう、限定本なのだ。一般に出回っている漫画も含め、いくら流通されているとは言え、手元にもっていない場合も多く、そういった場合、漫画喫茶などで見るか、持っている友人を探すしかないのだ。そういった意味で、特別なもの、なのだ。(漫画に限らず小説でもそうなのだろうが、小説には図書館もあれば本屋でビニールカバーもかかっていないのでご考慮頂きたい)そうして、小説などと違う点は、漫画を持っている場合、ほぼ必ず、繰り返し読まれる事、連載されて物語が続く事、という2点が思いつく。同じ登場人物の物語を追っていうちに、自然と、頭の中で人物が動きだし、声を発し始めるのでは無いだろうか。小説でも同じ様に、台詞、髪型、声、など想像が膨らむが、漫画の場合、ある程度、完成されたイメージを与える事により、より簡単に、登場人物を動かす事ができ、そうして、個人のし好を満足させていくのでは無いだろうか。
(以下wikiより)
古くはアニメ・漫画といった作品に絡んで行われる同人活動(→同人誌)との関連性から、「狭義のおたく」と呼ぶべきかなり限定された意味合いを持つ存在とされたが、近年では含む意味が拡大して「広義のおたく」と呼ぶべき一定の範疇・属性を含むグループ全体をこのように呼称する傾向が見られる。「広義のおたく」では「社会一般からは価値を理解しがたいサブカルチャーに没頭しコミュニケーション能力に劣る人」というネガティブな見解から「特定の事物に強い関心と深い知識を持つ一種のエキスパート」であるといった肯定的な主張まで、オタクの意味するところは人により大きく異なり、今日でも変遷している。
中途半端になったのですが、散文という事でこのあたりで、先を書く事を放棄しようと思います。
「本人にとってのリアルを語っているか」仲 仲治
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=2835
を読んで。