The Muddy marines
詩集ただよう
物心がついたのはいつだったろう。幼稚園や小学校の記憶は心の泥土のずっと深いところに沈殿したままだ。記憶なんてものは実に不思議なもので、時間がたつほどに鮮明に思い出せたりもする。それは、人や出来事や物なんかに心を掻き混ぜられると、意識とは別のところで舞い上がるからだろう。僕のグラスはすでに泥が溢れそうだ。
幼稚園に入ったばかりの頃の僕は、とても甘えん坊だった。僕は幼稚園でいじめられていた、そんな事実は僕の記憶にはてんでないのだけれど、それでもその小さな男の子は幼稚園に行くのを嫌がった。幼稚園に行けば仲の良い友達もいた。絵を描くのが好きだったその子は、周りの友達に絵を描いてあげたりもしていた。母親の愛情も人並みには受けていたと思う。ひどく人見知りで周りの子よりも小さなその子の面影は、今はもうない。
「ようちえんにいきたくない」
ある日突然そう言ったその子は布団から出ようとはしなかった。
「熱がないならちゃんと行かないとだめよ」
「いやだ、やすむ」
生まれてから数年間は、女の子とよく間違えられた。同年代の男の子がやんちゃな時期に、とても静かで泣きもしないくりくりとした瞳を持つ子は大人からは女の子に見えた。
「幼稚園でなにかあったの?」
「いきたくないだけ!」
「ちゃんと行きなさい」
今思い出してみても、幼稚園に嫌な思い出はない。手のひらですくえる思い出はとても幸せな温かい記憶と親の愛情だけ。それでも普段泣かない扱いやすいはずのその子は拒んだ。珍しく親を困らせた。
母親は妹が使っていたベビーカーを持ち出し、その子を数年ぶりにベビーカーに乗せ、幼稚園まで連れて行った。その子はそれがすごく恥ずかしくて、その日以来、ようちえんにいかないと言うのをやめた。
思い出は僕を縄のように縛り、胸を締め付ける。でもそれがないと人は自分の位置に立ち続けられないんだろう。どこか遠くに流される。
僕は一度だけ家出をしたことがある。家出と言ってもどこか遠くに行ったわけではない。中学二年生、手が寒かったのは覚えている。
親と喧嘩をした。理由も思い出せない。それだけ他愛のない瑣末なことだったんだろう。喧嘩ぐらい反抗期の少年にとってはいつものこと、別に大したことではない。ひとつだけいつもと違ったのは、母親からあんたなんか出て行きなさいと言われたこと。
その一分後、僕は何も持たずに寒い外にいた。悪いのは僕だと知っていた。僕は厚着をしなかったことだけ後悔した。平日に友達の家に泊まることはできないと思った少年に行くところはなかった。自転車で、塾帰りの友達が集まる本屋へと向かうほかになかった。そこにはクラスの友達もいた。なにをしてるのかと聞かれても、暇だったからと笑って言うことしかできなかった。皆は今から暖かい家に帰るんだ、そう思うと少しだけ寂しくなった。次の日は学校があった。
友達と途中まで一緒に帰った。別れたあと、僕にだけ行くところが無くなった。仕方がないから、なぜか、不意に思い出した自分のマンションの階段を下りたとこにある、小さな地下室に行った。そこは小さいときから苦手で、そこにあるドアはどこか違う世界に繋がってるんじゃないかとさえ思っていた。そこしか居場所がなくなって、その場所に助けられることになるなんて思いもしなかった。とても寒いその空間で僕はうずくまり、丸くなって寝た。時間もないその空間で少しだけ眠った。近付いてくる自分の足音が耳障りだった。
結局、朝方に自分の家のチャイムを鳴らした。成長していく身体以外になにもない少年の家出なんてそんなもんだ。母親が嫌味っぽく「だれ?」とドアの向こうで言う。このまま帰るのをやめようかと思った。するとカチャリと鍵が回されて、ドアを開けて、僕は中に入った。
「ごめん、お母さんが言い過ぎた」
涙が無意識にあふれ出た。悪いのは自分だと知っていたから、そんなことを言って欲しくはなかった。
今ならなんであの日、幼稚園に行きたくなくなったのかがわかる気がする。きっと幼稚園にあと何回行くと小学生になり、小学生になるってことは何かに近付いていくことだと、気付いたからだろう。
中学を卒業すると、九年間一緒にいた友達や中学で出来た友達とも別の学校になった。僕は近くの公立高校に無事に合格した。塾にほとんど行ってなかった僕に友達なんかいやしなかった。学校が終わると、帰れるのがとても嬉しかった。すぐに友達の家に行くのが日課になっていた。あの時期の夕陽がくれた匂いは今も僕の一部だ。
高校生にもなると、みんな恋人を作り、デートをし、キスをし、次々にセックスを経験していった。そんなのはとても自然なことだ。高校に入ったばかりのその頃、好きだった子がセックスをしたのを聞いたとき、たまらない気持ちになった。話したことはほとんどなかった。本当に好きだったかなんて、今の僕にもそのときの僕にも、もうわからない。ただただ不思議な哀しさを感じた。
いつか羊水の中にいた頃の思い出を手のひらですくえる人は、どれだけ大きなグラスを持っているんだろう。僕のグラスは泥で溢れてしまって、掻き混ぜたってもう水が濁ることすらない。またいつか、綺麗なグラスにひびが入るだけ。そこから、土へ溢れかえる。ただそれだけのこと。大したことはない。