回覧車Ⅰ
ブライアン
名古屋から豊橋に向かう途中の小さな街だった。何よりも高く、観覧車はそびえ立っていた。その観覧車は、遊園地にある類のものではない。突如、街にそびえる類のものだった。入り口付近には、一人の老いた男が箒を手に観覧車を見上げる。初々しい地元のカップルがその老いた男に話しかける。一人100円だよ、と、男性は言った。笑顔で老いた男性は操縦室に向かった。カップルの女の子はうれしそうに男の子の手を引く。男の子のほうはあまり乗り気ではない様だった。キーという機械音が響く。老いた男は、二人に向かって、その扉を開いて入りなさい、と優しく声をかける。男の子は淡々と席に着いた。徐々に観覧車は昇り始める。窓から見える景色に特別なものはなかった。海も百万ドルの夜景も、美しい夕焼けも。まして、広大な大地が永遠と続くわけでもなかった。二人は観覧車の窓から生まれ育った家の屋根を、互いに指差した。男の子は、あれが僕の家だ、と言った。新幹線の線路が東西を結んでいた。高架橋の下の騒音の響く屋台の話をする。スーパーマーケットの駐車場の話をする。観覧車は最も高い地点に達した。そこから、ゆっくりと下り始める。女の子は男の子に顔を向ける。優しい声だった。大学からは離れ離れだね、といった。
その下、観覧車を見守る老いた男は、固い煎餅を頬張っていた。空は曇っていた。山に囲まれた小さな街。みな、都会へと行ってしまうのだ、と老いた男はつぶやいた。この小さな街に子供がいなくなるまで、観覧車はあり続けなければならない。ここは、君が生まれた街だよ、と老いた男は呟く。誰かに話しかけるような具合に。
流れる景色が闇に入った。トンネルに入ったのだった。ガラスに映る顔が透けていた。触れることのできない像を見ていた。小さな街では、今もきっと子供が生まれている。新幹線はトンネルを抜けた。田畑の広がる場所に出た。ポツリポツリと民家があった。薄い夕暮れだった。子供たちは走っていた。どこまで行こうとしているのだろうか。家へ。それとも街へ。ここではないどこかを永遠に探し始めた、チルチルとミチルだったのだろうか。
観覧車から降りた女の子は、老いた男に写真を撮って欲しい、と頼んだ。老いた男は笑って承諾した。忘れるんじゃないぞ、と心で祈っていたのかもしれない。男の子の眼差しはジッと老いた男のシャッターを押す指を見ていた。別れ際、忘れるなよ、と男の子は女の子に言うだろう。当たり前じゃない、と女の子は答える。だが、当たり前に過去は忘れられるのだった。老いた男は、カメラを手渡した。男の子の肩をこぶしで強く殴る。男の子はいぶかしげに老いた男を見る。少しの沈黙。その後、今度は一人できます、と男の子は宣言した。女の子は楽しそうに二人を見ていた。