名もない花
星月冬灯


 その花は不思議な色をしていた。

 白ではない、黄色でもない、まるで

 光(ひかり)のような明るい色をして
 
 いる。

 母のアリサは「名もない花」と呼んだ。

 
 花は太陽に翳すと眩いまでに光り、

 熱を発した。生い茂る青々した木々を

 照らし、温かさを生んだ。また、野に生え

 る雑草さえも生き生きと甦えさせた。

 光りはどこまでも伸び、大地や大空に

 自然の息吹を与えた。どこまでも暖かく

 優しい小鳥の囀(さえず)りのように。

 
 月の明りに照らすと、花は涙を流した。

 透明な、綺麗な涙を。その雫はやがて

 川となり、湖になった。地平線の彼方

 まで光り輝き、夜空に瞬く星たちよりも

 美しかった。


 ある晩、アリサはその花を摘んできた。

 
 ママ、この花どこから摘んできたの?

 遠い遠い所からよ。

 どうして、光ってるの?

 魔法の花なの。

 この花どうするの?

 火に翳(かざ)してちょうだい。

 
 マーサはそっと火に翳した。

 すると、火の粉が花に吸い付き、赤く

 燃え、やがて塊となって花びらから

 落ちた。

 落ちた火の粉の雫は、地に着く前に

 小さな種に変わった。

 キラキラと光る種は、小さなマーサの

 掌にのると、ぱっと消えた。まるで花火

 のように、一瞬にして散った。


 だめよ、マーサ。この銀のスプーンで

 掬わないと。消えてしまうのよ。

 
 アリサは赤いリボンの付いた冷たく光る

 スプーンを握らせた。

 そのスプーンで塊を拾うと、今度は消え

 なかった。

 マーサは、幾つも幾つもその種を拾い、

 透き通った袋に入れていった。

 一杯になった種は、より一層光りを反射

 させ、部屋中を照らした。その眩しさに

 目を開けているのが困難なほど、煌々と

 していた。


 さあ、その種を持って裏庭に行きなさい。

 そして、全部埋めるのよ。


 マーサの頭を優しく撫でながら、アリサは

 言った。


 その不思議な種を持って裏庭へ行くと、

 夜空で踊るように散っていた星々はなかった。

 真っ暗な中にマーサの持っている塊だけが

 神々しいまでの光りを放っていた。

 その光りを頼りにシャベルで土を掘ると、沢

 山の種をばら蒔いた。優しく土を盛ると、そ

 の中から光りがこもれ出た。

 
 マーサは、シャベルを持ったまま立ち竦んだ。

 この花はいったいどこに咲いているのか。

 ママはどうして、この花を摘んできたのか。

 
 暗闇の中に一陣の風が吹いた。

 身を凍らせるような、冷たい風が。

 マーサは身体(からだ)を抱き締めた。

 
 ぞくり、ぞくり、

 得体の知れない怖さが、マーサの身体を

 駆け巡った。

 土からこもれ出ていた明りが、すっと翳った。

 マーサは目をギュッと瞑った。ぶるぶる震え

 る身体を冷たくなった指で抓った。


 マーサ


 アリサの声が冷たく響いた。

 まるで氷のように。風のように。冴え冴えとし

 た空気になった。

 マーサは、出そうになる声を唇を噛んで耐えた。

 後ろを振り向いてはいけない、ただそれだけを

 心に呟いて。


 マーサ


 さっきよりも、より一層冷え々とした声が降って

 くる。


 まったく振り向かない娘に、悲しそうに微笑み

 ながら、アリサは手にしていた名もない花をそっ

 と地に置いた。


 ママ、もう行かなくちゃいけないの。ごめんなさ

 いね。


 闇に響いたその声は、儚さを含んでいた。

 マーサは、目に涙を浮かばせながら、必死で

 祈った。


 ビュウと強い、強い風が吹き荒び、地に置かれ

 ていた光りの花が散った。音もなく、そっと。

 跡形もなく、まるで最初から存在していなかっ

 たように、静かに。風に舞って、闇に溶けた。


 マーサは堪らず、振り返った。


 ママ!


 そこにはただ、闇だけがあった。

 
 何日かして、蒔いた種は花となった。朝も昼も

 夜も、その名もない花は咲き続けた。


散文(批評随筆小説等) 名もない花 Copyright 星月冬灯 2008-08-22 08:47:46
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