午後、水飲み場で
nm6

 
 
 
 
ポンジュースが出るという噂と、狂おしいほどいつも通りの日々。例えば、そんな愛媛で風景している校庭が、東京の夕暮れの向こうにある。午後、水飲み場で、挨拶は永遠にすれ違っていく。すべてはほんの少し過剰気味で、ぼくらも本当は、知らないままがいい。


運動部が左右される季節と、照り返しては遠くなっていく日々。例えば、そんな北海道で風景している校庭が、東京の曇り空の向こうにある。午後、水飲み場で、後悔ははるか前方に立ちつくす。すべてがほんの少し不足気味なら、ぼくらも本当は、知らずにいられたはずだ。




「それを思い出すと、今、自分が言い出そうとしていることが、
 なんてばかげたことなんだろうという気がしてきます。
 本当にそれでいいのか、と思います。」




どんな日々も空の向こうだ。みな記憶のようなしたり顔で、未来もイメージも些細な過去も。そこでただ風景しているものが、はるか前方か、はたまたはるか後方か。午後、水飲み場にフラッシュバックする誰かのいつか。すべてが少しずつずれて、知ったり知らなかったりしている。その模様は、ただそこでリピート。誰も話さないでひっそりと降り積もる時間に、ただ無心にクネクネする人間みたいな午後だ。


自由詩 午後、水飲み場で Copyright nm6 2004-07-22 02:22:44
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