フライフィッシングと詩(その2)
北村 守通
本当はフライフィッシングに限らないことなのだろうけれども、フライフィッシングという釣りは創作性にあふれている。釣り竿、フライ、手網、その他多くの小物類は自作しようと思えばできる物が多く、実際、道具類の自作を釣りそのもの以上に愛する人も多い。(私もその口)
出来上がってしまえば使ってみたくもあるし、使ってみてもらいたくもある。詩ならばそれは朗読であったり曲をつけてみること、あるいは投稿してみることかもしれない。
また、より良い物を作る為には、勿論より多くの物を作ってみて技術に慣れることも必要だが、マエストロに弟子入りしたり、他者が作った物を手に取り、作り方やバランスを積極的に分析しなければならない。
これが他人の文を読む、ということだろうし、批評なんだと思う。
けれどもこいつが何とも厄介で、完成した品物を外から眺めるだけではやはりどこから解析すれば良いのかわからないし、更には何が良いもので何が良くない物なのか(自分にとって)さっぱり判らない。
様々な方々が、この部屋で批評を論ぜられている姿が私には常に眩しく映る。それは丁度隣で美しいキャスティングで洗練されたフライを投げ込み、衝撃を与えるに足りる一匹を釣り上げる本当のベテランアングラーの姿に重なったりしてしまうのである。