犬神の作り方
がらんどう
犬神の作り方というのは実に簡単である。
首だけが地表に出るように、生きた犬を地面に埋める。犬の目の前に食べ物を置くが、決して食べさせずに飢えさせる。その際、私は別の犬の肉を用いる─蟲毒の応用である─。首だけを出した犬を十日間も放置すれば良いだろうか、犬が餓死寸前になった頃、鉈や斧(刀剣の入手が可能であれば、それを用いるのが伝統的な様式といえるであろう)などを用い背後から犬の首を一刀のもとに斬り落とす。このとき、自分の姿を犬に見られてはいけない。もし見られたら、犬神は自分に取り憑いてしまうので注意してほしい。また、犬の哀れを誘うような目を覗き込んではいけないし、意志の弱い者などは犬の声が聞こえないように耳栓をしておく必用があるだろう。そのようにして入手した犬の首を新月の晩、戌の刻、四辻に埋めて大勢の人の踏むにまかせ、月が一巡りするのを待つ。それを掘り出したのち、白木の小箱に収め、呪物として祀れば犬神が完成する。
昔に、子猫を解体する様子を写真に撮り、ウェブ上に公開した人がいたと記憶するが、あれなどは犬神というものの本質を理解していない者の未熟な模倣であろう(あの場合は猫神か)。現代に於ける辻の代用物としてウェブを利用するというアイデア自体は、テクノロジーと魔術の融合において割合一般的なものである。だが、あのやりようでは、他者の怒りや憎しみを術者自身へと集めるだけである。人の現し身は憎悪の器としては脆弱に過ぎる。ゆえに犬神は大地そのものを、世界そのものを、憎悪の器とするのである。だからこそ、術者は犬に姿を見られてはならないのである。救いを求めることをもはや止め、ただ憎しみにより純化された犬の目はそれを見ている。だが、その目の先にあるのは、自身を死に追いやった術者ではない。自身に何ら救いの手を伸ばさない、この世界そのものである。
たとえば、妻と子を惨殺された男はその加害者を憎むであろう。では、最初から妻も子もいない私は誰を憎めばよいのであろうか。それは最初から失われていたのだ。世界が最初から失われていたとしたら、私にとって存在しないものである世界を存在しないものとしてあるがままに扱うことにどのような問題があるというのだろうか。私の手元には白木の小箱があるというのに。