JIKU-MU*HI
影山影司
字喰虫といふ虫あり。
その虫、蟻に似て「掘る」と「喰う」、「蓄える」に長ける。
頁を捲って、小麦色の紙にトンネルが開いていればそれ即ち字喰虫の食事後なり。
垂れる糞は喰ろうた字と同量そのものなり。
英文も漢詩も嫌わず良く喰べ、良く垂れる。その気性は穏やかで繁殖や諍い事は控える癖に、喰う事だけが珠玉の目的のように行い続ける。
彼らの巣穴(コロニイ)は三隊によって稼働する集団住宅なり。
一之集団に属するものは朝起きて、字を喰いにのそのそと郵便箱へ進入する。一定の時間になれば新聞や手紙、広告等の餌が有る事を知る故の行動である。腹を満たしたものから巣穴の奥、便所と倉庫を足したような室で糞を垂れる。二之集団はその頃起き出して、一之集団の糞を纏め、趣向を凝らした骨董店のように陳列を行う。三之集団は一見ふらふらと昼行灯のような集まりだが、実際は警備と調査を兼ねた斥候隊である。一と二に属する虫は交代、繁殖が容易ないわば下級兵士だが三に属する虫は特別製のようだ。一と二は顎が大きく、口腔に虫独特の胃液と唾液を混合したような体液を分泌する腺を持つ。だが三の虫達は腺を持たない。顎は一際長く華奢で異人の学者が「まるでダウジングのようだ」と語る。科学信仰者は一笑に付すかもしれないが、なかなかこれが的確な表現である。顎をあちらこちらに向けてふらふらと行き来する彼らは、鉄箱に仕舞い込んだ帳簿ですら察知する。
蟻がそうであるように字喰虫には支配者が居る。子を産むため雌である、という輩も多いが、私は虫達に無性別、無生物的な感覚を憶える。よって女王蟻といった表現は控えさせて戴く。支配者は子を産む他に巣穴の建設や全体の統括を行う。体付きは他の虫より一回り巨大なり。支配者は蓄えられた糞を喰うが、自身は糞を垂れない。時折思い出したように巣穴の果ての小穴に尻を突っ込んでは頭を振る。その様はまるで売女にも似た邪悪さを持つ。
私はこの謎多き虫の糞を喰った事が有る。胡麻粒のように小さなそれは無味無臭だが、犬歯で一噛みすると火花が散るほど強烈なり。貧血を起こしたように顔が引きつり、耳のそばで朗々と「本日之天気」なる一文が流れた。試しに本書の草稿を与えた虫の糞を喰ってみると「れ即ち字喰」という一文が同様に流れる。
仮説に辿り着いた私は好奇心の駆動機となった。いや、仮説を自身によって否定したかったのだ。小型の発掘道具を持ち、巣穴を掘り起こした。ざわざわと一、二之集団を構成する虫が手足を伝い、噛みつかれた。手足の皮膚は爛れ、激痛を発したが私は手を止めなかった。皮膚の奥、血管が破かれて血まで滴り落ちる。私は、巣穴の最果てに到達した。丁度其処では支配者が尻を突っ込み、頭を振っている最中であった。頭を摘んで、背後に放り投げた。穴だ。穴の最果ての穴だ。手鏡で光を当てても、覗き込んでも真っ暗で何も見えない。
四つん這いになって、穴の中に鼻を突っ込んだ。臭水のようなねっとりとした香りが鼻を撃つ。我々、愛国民に馴染みの無い生物の香りだ。異人のような野蛮な獣臭ではない。これはもっと異質な、虫の香り。耳を押しつけると喧噪の気配が伝わってくる。雑多なものが混ざり合った食堂の喧噪。
起き上がり布団に飛び込んでも香りと音は無くならない。いや、先程よりずっと鮮明になり、私の想像を掻き立て、仮説を裏打ちする。
嗚呼どうして虫を取り払わなかったのか。
今や私の耳は無い。鼻も無い。眼孔も無い。口も無い。尻穴も無い。毛穴も無い。
字喰虫は、隊列を組んで私の穴という穴に帰って行く。
虫喰いだらけの私の体は、時空を超えた先へ繋がっている。