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「にぎやかな街」 水無月一也
引力というものが本当に万有であるなら、斥力もまた常に働いているのでしょうか。幸せな未来を求めるが故に足下に口を開けた淵の深さにとらわれてしまう。やさしい、という簡単な言葉で救うことのできない喪失がこの作品の冒頭から流れ込んでくるのです。
言葉を持たないものたちにまで問いかけ、沈黙の夜にやはりとうなずきながら。でも、どこかに救いはないかと。街はひとを溶かし込んではくれないのだと、寒さの中で空を見上げもしないで。そう、この詩では作者は一度も空を見上げていないのです。そこにあるのは街と雪にみたてた自分の胸の奥の重力に引き込まれていく姿。
「ひとりぼっち」そう規定された自己が「後悔を置き去り」にして言葉を得る。なんという痛々しさ。私の胸の奥、陽気さに紛らせて忘れてしまったはずの孤独の残像がきりりと痛むのです。それは作者がこの作品に込めた痛みには遙かに届かないかも知れません。しかし、胸を揺り動かす熱が、灼き焦がす。ものがあるのです。
「いつかの昔」を忘れ去るのではなく「言葉」として問い続けると最終連は結ばれます。
大丈夫。あなたは決してひとりぼっちではない。全てを手に入れることはできなくても、大切ないくつかを手に入れるでしょう。いや、わたしがいうまでもなく、すでに作者は自分の引力を信じることができるのだと思うのです。だからこの詩は彼の筆から放たれたのでしょう。彼の斥力が痛みを言葉にして。
おかえりなさい。水無月一也! 私はこの言葉達にあえてよかった。
(文中敬称略)