遺跡の街
リーフレイン
僕の街は遺跡だった。 「たった一つ遺跡がある」なんてちゃっちいもんじゃあない。有史以来一度の地震もハリケーンにもあっていない安定した谷間で、街全体が遺跡の上に遺跡が重ねられた複合遺跡だ。僕の家も200年前の家の壊れやすい部分を取り除いてその上に重ねられている。当時使っていた階層のうちの2階分は今も使用可能で、僕の部屋はひいおじいちゃんの時代には居間だった。さらに下にはまた数百年前の階層、さらに下にはさらに数百年前という具合に、様式も建材も雑多な構築物が複雑に絡み合い、高層であればあるほど価値が高いとされていた。もともとの地表は目に入らず、構築部同士を繋ぐ石の橋がいくつも点在している。狭い階段状になった道がもつれた蜘蛛の巣のように街中を這い回り、高いところから低いところへワイヤーロープが張られていた。慣れた大人は”レイヤー”と呼ばれるワイヤーを走る滑車を使って、(手でつかまる輪っかと足をひっかける輪っかがついている)2,3階層下へとすべり降りていった。
僕の学校は家から数ブロック離れた所にあって、僕は毎日5つの階段をくだり、回廊を2つと橋を6つ、12の階段を上がって通っていた。1000年ほど前に墓場だった回廊を使うと、とても時間が短縮できた。顔の数十センチ横に骸骨が幾つも並ぶ道で、僕はいつも息を止めて走り抜けていった。その一方で、学校仲間が集まったときの僕らは子どもがそうである程度に残酷で無神経で、骸骨サッカーで遊んだりもした。もちろんそんなことはしてはいけないことだったのだけれども、してはいけないことほど楽しい。
僕たちに一番人気のあるバイトは「案内人」だった。迷路のように複合化した街は普通に住んでいても迷うほどで、下部の遺跡部分に迷い込んだ観光客が消息不明になってしまうこともままあった。慣れた人は地区ごとに案内人を雇い道を確めながら目的地へとむかう。 僕たちは学校単位で 一種の鑑札みたいなものを発行して、「1、騙さない。2、安全迅速に目的地に向かう。3、適正価格で荷物も運ぶ。」ことを保障しあった。最上級生による審査を経た鑑札を持つことが出来たこどもは少し余分にチップを貰うことができた。 僕の学校の鑑札は街でも随一の信用度があったのだ。僕らは毎日のように新しいルートを開拓したり、遺跡マップを更新したりと、努力を欠かさなかった。僕らの学校は、街の玄関口にあたる遺跡駅とモールを校区の両端に抱えていたため、客に事欠くことはなかった。
僕はいつも「街には世界の全てが眠っている」と感じていた。他の街ならばとうになくなっている全てが今にも血を流さんばかりに眠っている。僕らにとって過去は足のすぐ下にあるもので、飯のたねで、僕らの家で、死で、いまだ探索されえないものだった。だから街の外へ出ていくか、街の内部へ潜っていくか、というのは将来を考え始める頃の僕らにとって大きな命題だった。街の外は町の内部よりも単純で色あせて見えてしまうのだ。事実、教育と自由と生活費のために他所に出た仲間の多くも、やがて街に戻ってきた。僕らの一部はもう遺跡になって、この街につながってしまっているのだと思う。
遺跡調査人という職業があって、僕らの中でもとくに遺跡に取り付かれた数人はこの職業についた。ひたすら調査し、行政府に調査の報告をして給料をもらう。ハンターの取り締まりにもあたった。長年の調査でとりやすい宝はとうになくなるか、登録されて管理されているかしているにもかかわらず、まだ深部へともぐるハンターはいた。正式な遺跡調査人になれなかった人がそちらへ回ってしまうこともままあるらしい。今日、僕は ”大いなる扉を見つけた。” とかかれた古いメモを拾った。
僕はきっと大いなる後悔を抱えながら笑みを浮かべ、この街に飲み込まれてしまうにちがいない。