復想園(2)
生田 稔
復想園 (2)
ああ、俺は幾年想いの中をさ迷って来たのだろう、巷の彼方此方で父の計画のために追われ、兄弟でさえも俺を嘲った。然し俺は不思議に深山で知った神の知識によっていつも救われていた。悪魔の子のおれでも神の恩恵にあずかることが出来るのだろうか、昨日あの街角で人を集めて神の知識を説いた時、感心してくれた人がいた。知らずに本心であの話をしていたのだ。俺は悪魔の子に生まれるべきではなかった。兄弟たちが時々自分の幸福を見せる為それとはなく姿を変え、おれの目前を。通り過ぎるのだ。それは或る時には貴婦人と紳士であったり、若く純情そうな男女の若者であったり、あどけなく笑い興ずる子供たちや音楽に聴き入る青年であったりする。そのようなものに心を惹かれて安らぎと羨望を覚えると、残酷な兄弟たちは突然に姿を変えて、アハハと笑って牙をむき出して現れ、。又姿を消してしまうのだ。
どうしても忘れ得ないのは、ある田舎町にある魔窟を通り過ぎた日のことだ。
両側にづーと並ぶ娼婦屋の窓から怖い顔をした半裸の女達が、首うなだれて道を歩く自分を詰っていたことだ。未だ悪魔の社会にいた若い頃は、他の兄弟とは違うといって随分もてなしてくれ彼女等なのだが、あんな女たちに心惹かれない今は、私は呪わしきものとして詰られているのだ。
とうとうこの有名な、父のしばしば現れるスラム街のどやに、父に会うためにやってきたが、父はどのように言うだろうか。今迄に幾度も父に詫びそうになったのだが、もう再び使い物になりそうにない自分を見て、あの利にさとい父とその手下達は、はねつけし、、私も詫びる気はない、自分の思うようにならない小僧をどうかした再び自分にひれ伏させ支配下に戻したいと考える以外には何もないのだ。しかし父と子という腐れ縁は消えることはないのだから、悪魔の父も一挙に彼を滅ぼすことはできない。しかも父にとって聞くも忌まわしい神の知識を彼は身につけているのだ。父の悪魔は昔、自分の先祖のケルブが神の子の身でありながら、神に謀反したように、今わが子にそむかれて、自分の支配にひびを入れてしまった。わが子に叛かれてからの悪魔の社会の凋落は著しい。だから近頃彼の父は巧妙さを失って、自暴自棄になりぎみである。産まれついての悪魔の子である彼に、悪魔には決してできないことをされているからだ。悪魔は昔から最後には魂を奪う目的で幾多の天才を造ってやった。音楽に、文学に絵画に彼をたたえる者達によって偉大な業績を行わせた。
然し彼らも一時の幸福を得た後悲惨な境遇に堕ちて死んでいった。悪魔の力によって、
芸術の狂気の中で憔悴し果てた芸術家達の最後は哀れではなかったか。悪魔に組せぬ数少ない芸術もあったが殆んどは生前には名がでずささやかに、しかし平安に死んだものも多かった。
そのようなことを彼は考えた
夜明けまで灯りの点いている数多いスラムの酒場で酔っぱらい達が騒ぎ疲れて、テーブルに突っ伏して眠りこける頃、そして同じような酔いどれが町の中心の広い道路にゴロゴロ寝ている中を、誰も気付かぬが確かに彼の父の車の音がするのを彼は聞いた。
それは鳩の夜啼きの如く何処からともなく突然に聞こえてくるものなのである。彼のような悪魔の子でなければ、その音を聞き分けることは出来ないのだ。深山に居た頃じっと瞑想にふける彼の耳に幾度か深山の外の遠くのあたりで彼を外へ連れ出そうとして、やって来る父の車の音を聞いたものだ。しかし山に立ち入ることも出来ず、うめき声と共に父が帰っていくのをいつも知っていた。そのことを思い出した時、何故悪魔の父が彼に近づけなかったか、突然霊感の如く頭にひらめくのを知った。
「神だ!」と彼は叫んだ。私は神によみされていたのを知らなかったのだ。然しそれと同時に彼の周囲に悪魔の手下達の声がいくつも現れて攻め寄せるのを知った。現れた声は続々と彼を攻撃し始めた。
彼は自分の滅亡の時が来たのをさとった。神を本当に見たとき、それが自分の最後なのだ。そして父の悪魔の顔を再び見ることはなく、静かに自分の魂が消えてゆくのを知った。
深山の瞑想の中にひそかに、その型を見た想いの園はほんの瞬時彼の心の中に大きな愛の手に抱かれて、堂々たる光輝を放つのを見た。
彼の魂は去った。然し彼の最後を見にやってきた悪魔の父は、そのどやの最も小さく最も汚い部屋で死に絶えている彼を笑えなかった。 悪魔自身でさえ、自分に反抗したこの息子の生涯が羨ましかった。
悪魔は泣いたであろうか、いや悪魔は泣くことはない。悪魔に愛はなく、悪魔の支配を受くる者にも愛はない。
神こそは愛。神を知るものにこそ愛は訪れ、心の中に愛の想いの園が形造られるのである。
(二十七八ごろの作品です。その後の人生を象徴しているかのごときものでした。)