見つめ合い
鴫澤初音

   暇つぶしに入った喫茶店で煙草を吸いながら、注文したものを
  忘れていく。誰もそばにいなかった。そもそも友人なんていた
  記憶もなかった。誰か可愛い女の子と恋に落ちたかった。友に
  なるために恋にはどうして落ちないんだろう。不条理なくらい惹
  かれるような、自分ではどうしようもない程咽喉が渇いていく
  友、つまらない、なんていつも思っていて、それが虚しかった。
 
  「初音ちゃん、」
  「初音ちゃん、」

   笑って皆が言う。答える声が少しも届かなかった光のない目線。
  いつの間にかおかれたバナナジュース。煙草を左手に持ちかえて
  一口飲んでみた。ガラスコップが冷たく、曇っていた。
  
  「初音ちゃん、」
  「え?」
  「どうしたの、それで、高さんは大丈夫なの?」
   弓ちゃんが手に持った本を机に置いて、こちらに顔を寄せていた。
  「ああ、うん。これからはつらくなったら、そう言ってもらうっ
  って。喜田さんが毎週木曜日に話してって、高さんに言ってたか
  ら、まぁ…、うん。今のところ突然辞める、ってことはないんじゃ
  ないかな、」
  「そっか…、うん。弓も最初はつらかったしなぁ」
   高さんがここを辞めたいと言ったわけをわかる気がした。どんど
  ん色褪せていく。何が大切だったのか、思い出せずにいるままに、
  一日が終って、疲れて帰ってきて眠るだけ。たまに遊んでもそれも
  ただ虚しかった。
  「ねえ、初音ちゃん、頑張ろうね!」
  「え、何?」
  「弓さ、頑張るし、初音ちゃんも頑張ろうね、」
  「うん、弓ちゃんはいつも頑張ってるけどね」
  「えー? 初音ちゃんの方が頑張ってるし」
   笑って、言う。口一杯の笑み。


   煙草を灰皿に押しつけて、消えない火を潰した。誰にでもなく
  謝りたかった。数日前にみた民放で放映していた番組。70過ぎの
  おばあさんが一人で仕事をさがしている話。年老いて、誰にも雇っ
  てもらえずに生活が苦しかった。生きていくって、なんて馬鹿げて
  いるんだろうか、そう思わずにいられなかった。数年ぶりに会った
  同級が言った「死ぬなんて申し訳なさすぎるよ」。
   バナナジュースはおいしかったけれど、だからどうというほどで
  もなかった。よくある味。そんなふうに生きていくこと。何本目か
  の煙草に火をつけて、吸い込んだ。喫茶店ではいつも居心地が悪か
  った。それほど好きではなかったにもかかわらず出かけてしまうの
  は単に家にいたくなかったから。CDプレーヤーから聴いていたの
  は、森田貢の「東京」だった。
   君に笑って、さよならって言った。そう、歌は告げていた。


未詩・独白 見つめ合い Copyright 鴫澤初音 2007-12-30 03:07:32
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