沈黙の内側、ダイヤグラムは途切れたものばかりで体裁を整えている(3)
ホロウ・シカエルボク
そして俺たちの間には再び沈黙が訪れた。それは一見いままでの沈黙となんら変わりの無い取り付く島も無い断絶のように見えたが実際のところそれよりもずっとたちが悪くなっていた。腐臭はほんの一時でも俺に心を開こうとした自分をこの上なく恥じていた―おそらく心を開くことはやつにとって、いくつかの大いに恥ずべきことの中のひとつであるのだろう。直感による信頼。あいつはそれを信じようとした。敵なのか味方なのか判らないこの俺を、自分自身を薄暗い世界に産み落とした張本人であるこの俺を、ほんの少し目の中を覗き込んだだけで直感的に信頼しようとした―それまでそこにしがみついていた自分のことを、わずかな気まぐれで話し始めようとした。腐臭はもう俺の目を見てはいない。ほんの少し憎しみから戸惑いのようなものに姿を変えた目は自分の右足のつま先の少し先を見ている―恥じているのだ。金縛りにかかったみたいにそこを見つめたまま動こうとしないやつの視線を眺めながら、ああ、こいつの心にもきっと硬い硬い錠前が下りているのだなと俺は考えた―恥じているのだ。心を開こうとする者は、それが硬く閉ざされていることを恥ずかしく思うから口を聞けなくなる。一度開いたものをもう一度閉じるときには、きっと開こうとしたそのときよりもずっとずっと固い決心のようなものがいるだろう。もちろん、閉じずにすむのならそれに越したことはないが―もしも一度開いて閉じたことがあったとしたら、それがどれだけ億劫なことなのかは容易に想像がつく…だが、こいつはずっと俺の中にいた。俺の胸の中の深いところにしがみついていた―こいつの扉が一度開いたことがあるとしたら、それは間違いなく俺の存在によってということになる―俺は以前にこいつと接触しているのだろうか?腐臭の目の中の影が、ますます深くなるのが見えた―こいつはもう少し上の辺りにいて、俺に向けて心を開いたのだろうか?そして閉じることを余儀なくされ、扉を閉じ、底に消化液を溜めた坪型の食虫植物に落ちていくように俺の胸の辺りまで落ちていったとでもいうのだろうか―?
そもそも俺はこいつをどうしようとしているんだ…接触が不良に終わったせいで俺の考えはまた最初のところに引き戻された。逃れたいのか?引き離したいのか?捨てたいのか?残したいのか?同化したいのか?消したいのか?…答えなど出るわけも無かった。その中のどれかひとつに絞ったところで、なにをどうすればそういう状態に持ち込めるのか皆目見当もついていないのだ―言葉。俺は言葉について考える。結局のところ、俺たちは言葉の渦の中で戸惑い続けるしかない。心があればどうのこうの、口を開かなくてもどうのこうの…無責任な詩のようにそんな風に言うことは出来る。けれどどうだろう、結局のところ俺たちはただの言葉によってそれを結論付けようとするではないか?言葉として、その響きとして心を飲み込まなければ、次の段階に進むことすら出来ないではないか―?言葉を用いてしまった者の宿命なのかもしれない、そういった手段を用いてしまった者の。言葉が無ければ俺たちは歩けない。実際、そうしたものじゃないか。イマジネーション。イマジネーションについて少し話していた。イマジネーション、それ自体には何の意味も無い。意味は、それをどう訳すかというところに産まれるはずだ。俺は判らなくなってきた。
俺が描いてきた言葉は、そこに腐臭が潜んでいたからなのだろうか―?
俺たちが身体を持つ理由はなんだ。それは、個体としての認識を持つためだろう。窮屈な肉体の経験を経なければ、俺たちはそれが個体であると知ることは出来ない。何らかの理由をもった、一個の生体であると知ることが出来ない。イマジネーションとは個体の認識だ…イマジネーションとは、空を飛び交う電波のようなものだ。それをキャッチするアンテナがそれぞれの個体なのだ。アンテナは電波をキャッチして画像なり何なりに変える。そこに意味が産まれる(腐臭は目をそらしたまま依然として動こうとしない)。いま俺は意味と言ったが、それは意味で無くてもかまわない。意味など無くてもかまわない。何を言っているのだ、と思うか?しかし実際、意味など在ると言ったところで無いときには無い、在るときには在る―だって意味だって、イマジネーションの一部に違いないじゃないか。イマジネーションが無ければ現世などただの景色に過ぎない。おい、と俺は腐臭に声を掛けた。やつは微動だにしなかったが、狼狽はいつしか哀しみに変わっていた。
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沈黙の内側、ダイヤグラムは途切れたものばかりで体裁を整えている