アンテ


                        13 鍵

建物じゅうがひっそりしていて
でも
拒絶感はなかった
足音が廊下を転がっていく
ころころ
まねたあたしの声が
あとを追う
受付も
診察室も
待合の長椅子の列も
とてもやさしくて
だから余計に
確信できた

成美の思い出
のなかで
いつも成美が寡黙だった理由
あたしがあたしのことを
とても正確に
理解していること
大事なのは
答えじゃない
あたしがリエちゃんを信じたことも
リエちゃんがあたしに
嘘を並べつづけたことも
同じ事象ひとつの結論から逆算した
右辺と左辺
川岸から小石を投げ込むだけで
流れを堰き止めるなんて
できないと
決めつけていた
鉄橋を
人が渡ったってかまわないのに
胸まで川につかるくらい
なんでもなかったのに
少年野球や
菜の花の群生
のことを考えて
それで別のなにかを得られた気でいた

階段をのぼる
病室をひとつずつ確かめる
ポケットを探ると
鍵がひとつ
指に触れる
アパートの部屋のものか
古い借家のものか
確かめるすべはない
あるいは同じなのかもしれない
窓から差し込む光
は弱すぎて
廊下がどこまで続いているのか
わからない
ドアのノブを握った瞬間
この部屋だ
と感じる
ドアを開けると
重い空気が流れ出す
電子音
が心拍と重なる
カーテンがなかば開いた窓
の向こう側
月がとても大きく見える
観覧車の箱から見た最後の空も
こんな風だった
ベッドのシーツを手のひらでなでる
たくさん
謝らなければ
靴を脱いで
トレーニングウエアを脱いで
下着を脱いで
裸になる
ベッドに横たわる
鼓動がゆっくりと大きくなって
気持ちそのものになる
涙があふれる
大丈夫
涙がこぼれ落ちる
大丈夫
あたしの名前は
まぶしい光
白い天井
だとわかるまで時間がかかった
細い指があたしの髪をなでる

「おかえり」

はじめて聞く声
うなずく
喉が渇いて
うまく声が出せない

「おかえり、リエさん」

涙ぐんでいる
表情
ドロップの缶の写真と同じ
面影
名前を呼んでみる
にぎりしめていた指を
ゆっくりと開く
確かに鍵がある
成美さんは何度もうなずいて
そして
また
おかえり
と言ってくれた



                          連詩 観覧車




未詩・独白Copyright アンテ 2007-12-23 08:59:49
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