沈黙の内側、ダイヤグラムは途切れたものばかりで体裁を整えている(1)
ホロウ・シカエルボク
膿んだ時間の曼荼羅に眼を凝らしてまだくたばってはいない言葉を探した。
腐臭は凄まじく、字面に少し触れるだけでおぞましく伸びる粘度の高い糸が指先にまとわりついた。顔をしかめることが何度目かの輪転で当然の範疇に分類される…薄暗い部屋の中では確かな判別など到底つけられるべくも無いのに。
曼荼羅に背を向けると窓がある。あの堅牢な融点の向こう側にはおそらく真実味に欠ける間の抜けた夜が足を伸ばしているのだ―腐肉の念が鮮やかに変異したものが背中に覆い被さろうと目論んでいるのを感じて振り返ると、そこには一層腐敗を増した文脈どもが奇妙な振幅を繰り返して、あれはもしかしたら呼吸しているのだろうか?腐敗の呼吸。俺はそれが何かに似ていると思う、けれどもそれが何なのかはさっぱり思い出すことが出来ない…腐敗の呼吸。こいつは呼吸をしている。腐敗…腐敗。腐敗、腐ったものは生き延びようとするのだろうか?呼吸さえ止めなければ、腐ったものでも生き続けられることが出来るのだろうか―?
そんなはずは無い、何かがおかしい。
死んだからこそ腐るのではないのか?死んだからこそ腐るのでは…死にながら生き延びるような、そんなことあるわけが無い―観念的な意味では無い。あくまで生体的な―肉体としての死の話だ。観念的な死、なんてものについて話をし始めると、よくあるナイーヴな心持について1から10まで蒸し返すことになりかねない。そういうことはいいだろう。そういうことをしているやつはどこにでもいくらでも居るだろう―きっと、生体的な死について書こうとしてるやつをぐうの音も出ないほど埋め尽くすぐらい途方も無い人数が。
俺は呼吸する腐敗を眺める、呼吸する腐敗。なんて嫌な感触のフレーズなのだろう?呼吸する腐敗―そんなものに理由と言えるような何かがあるのだろうか?
生きている様に見えるものがある。実際にそこに命は無くとも様々な原因において命が宿っているかの様に見えるものが。風に舞うビニール。捨てられた家の垂れ下がった天井、短いトンネルの中で聞こえるショートレンジのディレィ。それらすべてのものに戸惑い、そしてどんな結論を出す?俺の中で、お前の中でひくひくと動いてみせるそいつらの残像は、はたして生きているのか…それとも死んでいるのか?生きている、と時には言うだろう。それは生命と呼んで差し支えない動き。死んでいる、と感じる時もある。独創的な現象の反射の後にそいつらがぴたりとすべてをやめた瞬間―こめかみの辺りに痛みを残すほどの静けさが訪れるはずだ。
俺もお前も、そういう類の痛みに対して抗うことなど出来はしない、そういう静けさが人の脳髄に植え付ける痛みは、命あるものの本能として瞬間的に理解してしまう類のものだからだ―それがそいつにとって歓喜であろうが悲哀であろうが―それはそういった種類のものだからだ。
この文書は以下の文書グループに登録されています。
沈黙の内側、ダイヤグラムは途切れたものばかりで体裁を整えている