アンテ


                        12 靴

身体が自然に
階段の上から二段目に座った
靴箱にずっと押し込んだままだった
ジョギングシューズ
しっかりと紐を結びなおす
土手をおおう雑草が
ときおり一斉になびく
河原のグラウンドは
ぽっかり穴があいたように静かだ
野球のボールがひとつ
置き去りにされている

家じゅう探して
ようやく見つけだした童話の本
発行日は五年以上も前だ
動けなくなった観覧車の
いちばん上の箱のなかで
消えていった少女の命
を助けたくて
でも
観覧車の叫びはだれにも届かなかった
修理も解体もされず
丘のうえに放置されて
いつか街そのものが風化して
人が途絶え
箱のなかの少女の遺体を抱えたまま
希薄になって
ついに消えてしまった
観覧車の心
自分で絵をつけて
でも
とても出版できるものじゃなかったのに
いつの間に
本になったのだろう
たった一度だけ
自分のために書いた話
だったのに

屈伸運動
手首足首を入念に
ぐりぐり ぐり
腕をあげて両脇をストレッチ
アキレス腱を伸ばして
両腕を左右に広げてゆっくりと回転
深呼吸して
準備体操終了
何年のあいだ
欠かさずこれを続けただろう
毎日あのアパートから
川を隔てて
あたしを見ていたのだ
この河原が見渡せる場所に移り住んで
でも
一度も声をかけられずに
あたしが走るのを止めて
裏切られたと思っただろう
ああ
もしかしたら
あの次の日に
ここで待っていたのかもしれない
ジョギングから帰ると
成美が出かけるところで
いってらっしゃい
見送って
それきりだった
あの日

違う
そうじゃない
それは

この世界のための
記憶

白いトレーニングウエアを腕まくり
鉄橋や階段や
アパートのあった場所
に別れを告げる
土手沿いのサイクリングロード
を駆け出す
はじめからフルスピード
手足は幸い
感覚を忘れていない
アスファルトを靴底で受け止めて
後ろへ蹴り出す
なにも考えない
心臓が暴れだす
いつものインターバルで
吸って 吐く
くり返し
右足の次は左足
なにも感じない
風景が溶け合って
識別できなくなる
夕陽がまぶしくて涙が出る
だれともすれ違わない
土手をそれて
住宅街を抜ける
つき当たりを右
ゆったりと腕を振る
苦しい
歩調はゆるめない
商店街はひっそりしていて
店員も客もいない
足音が靴の後ろから
おとなしくついてくる
球状の塊が
耳の後ろあたりをゆっくりと動いている
通いなれた美容院が
いつもの花屋さんが
とつぜん視界のなかで像を結んで
後方へ飛び去っていく
やっぱり消えていなかったんだ
足は止めない
大通り
歩道橋
で足がもつれる
心臓がもうダメだって言う
ガードレール
街路樹
足がつる
腕が動かない
喉が

転んだ
とわかった時には
視界が激しく飛んでいた
胸が膨張して
酸素を吸い込む
痛いところが多すぎて
身体の輪郭が
もう
わからない
球体が転がり回っている
目を閉じて
暗やみのなか
さよなら
だれかが言う
さよなら
あたしが言う
胸がすこしずつ落ち着きを取りもどす
目を開ける
涙でにじんだ光が
形を思い出す
輪郭が体を取りもどす
白い大きな建物
が見える
病院
と書いてある



                          連詩 観覧車




未詩・独白Copyright アンテ 2007-12-19 02:37:33
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観覧車