七人の話 その4
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 火星棟の二階に、屋敷内で唯一の図書室があった。出入り口の付近には貸し出しカウンターがあり、中に入ると、細長く伸びて広がっている室内の、薄暗い奥へ向かって、古い書架が何列も並んでいる。本にはカテゴリ別に番号が振られている。
 入り口の右手の方には、読書スペースがあって、六人で本を広げられる大きさの机が四つ置かれている。
 充と小遥はその机の一つに、向き合って座っていた。
 充は本を脇に置き、彫刻刀を持って、木を削っている。それは、両の掌でちょうど覆いかくせるほどの大きさの木である。
 小遥は目の前に本を広げているが、本は読んでおらず、頬杖をついて、ぼんやりと充の手元を見ている。


「私、刃物って苦手」
 小遥が充に話しかけた。
「そうかい」
 と、充は彫りつづけながら答える。
「尖ったもの全般がダメで、私、台所で包丁とかをちっとも使えなくって、それでニノ姉さんが笑うの」
「それは先端恐怖症とかいうんだろう」
「そうなのかな。尖ったものが近づいてくると、なんだか体がすくんでしまう」
「まあ、それは本能的な反射を体がしてるんじゃないか。刃物の扱いといっても、要は慣れなんだから」
 充は木を彫る手を休めた。
「というか、アンドロイドの話だよ。俺はここのところアンドロイドのことを考えているな。別に考えたってしょうがないことだけど、まあ趣味だね」
「アンドロイドって機械?」
「機械といえば機械だけど。この図書室の本や資料は、地球における二十一世紀半ばまでのものしかないんだよね。この屋敷を含む俺たちの世界のことについて、何らの手がかりも得られない。今が何世紀なのか分からない。この場所が地球上かどうかすらもわからない。ノイズに覆われたこの世界と、二十一世紀の地球との間には、埋めることの出来ないミッシング・リンクが黒々と口を開けたまま横たわっている。俺たちが知ることができるのは、ただ二つの世界だけだ。一つは、ノイズと静寂に包まれた、五感のみで感受しうるこの屋敷の世界。そしてもう一つは、決して自分たちがそこに属することのない、書物を通じてのみ垣間見ることのできる、騒々しい地球の失われた世界の歴史」
「たくさん並んだ本棚の本を眺めていると目まいがしてくるけど」
「そう、それでアンドロイドの話。神が自分の似姿として人間を造ったように、人間が自分の似姿たる機械人形を造ろうと欲するのは分かる話だ。古くはバベルの塔を作ったって連中だから。二十世紀の人間たちも大いに空想したみたいだよ、アンドロイドがいて人間社会と共存する未来を。しかし、それは結局空想の次元にとどまったんだな。人間たちの営為はそういう方向には進まなかったようだ。むしろ、通信ネットワークで人間をつなぐ広大な仮想の世界を形成していった」
「どんだけたくさんの人間が、これだけの本を書いたのか、と。むしろ、呆れてしまう」
「この屋敷はというと、有線であれ無線であれ、遠隔通信はみんな遮断されているけどね。電話はあちこちにいくつか置いてあるけど、内線は全部不通となっている。声の届く範囲と、金物を鳴らす音が届く範囲までが、俺たちのコミュニケーションの距離的限界なんだな」
「私たちのコミュニケーションの限界」
「ああ、この屋敷の狭さには十分な距離だけど。……それで、考えている、アンドロイドのことを。アンドロイドの構造について考えるとき、機械としての身体と、頭脳である人工知能に二分できるね。機械体の駆動や動力源などの問題は工学の範疇だろうけど、俺はアンドロイドの知能について考えている。自律的に活動し、人間と伍しうるような最高度のアンドロイドのAIを作るには、何が大切だったんだろうか、と。ここでは、技術的な実現可能性はさておいてね。知能がまっさらな状態で生まれたなら、そいつはまず、とにかく経験し、学習しなければならない。計画、実行、観察だな。経験を形づくるサイクル。だけど、それが単純な機械的反復であることから脱して、その知能にとって真に学習したと言い得るために、なにが必要だったろうか。『忘れること』こそが大いに重要ではないかと考えている。『忘却からこそ、新しい何かを学ぼうとする力が生じてくる』と、ルドルフ・シュタイナーはそう言っている」
「忘れるのは私、得意だけど。けっこう、何を忘れたかすら、忘れちゃってる。やばいよね」
「忘却のメカニズムは記憶の評価にかかっている。まずは、記憶の価値による順序をつけないと。そのために、価値評価の関数がいるだろうな。そして、より優先順位の低い、重要でない記憶から消えていくべきというわけだ。消すといっても、なにも完全に消去するには及ばないわけで、無限に近い容量をもつ二次記憶媒体にすべてバックアップしていけばよい。何百テラバイトかあれば、ひとりの人間が全生涯で経験することの全てを記憶できるんだそうだよ。そして、価値の高い情報こそが、他の情報により多くリンクされ、よりアクセス速度が速い媒体に記憶されていくわけだ。人間の場合、そう杓子定規にはいかないみたいだけど。イヤなことばかりを忘れずにいつまでも抱えている人もいれば、イヤなことはすぐに忘れてしまう人もいる。意味のない、取るに足らないような記憶を残すこともある」
「先の尖った刃物は苦手だけれど……」
「夢。もちろん、優秀なアンドロイドは、夢をみるべきだ。それは、夢を見るために、眠る時間が必要だろうということだ。人間のように、活動を完全に停滞させる必要はないかもしれないけど。思うに、そこでは、新しく得られた体験と、古い記憶とを、結び合わせ、精査し、吟味することが行われるのかもしれない。価値がないとかつて捨て去った古い情報のうちのなにかが、新しい体験と照らし合わせることで、価値を見出されることがないとはいえない。そこで、非論理性が導入されて……」
「私、ミツル兄さんの使ってる刃物は、あまり怖くないわ」
「なぜ」
「指先の延長みたいに自在に、滑らかに動くから。見ていて安心する。今も、なにか可愛らしいものが出来つつある」
「これは鴨っていうんだ」
「カモ?」
 充は手をのばして、鴨の彫刻を小遥に手渡した。
 小遥はそれを受け取ると、上から見たり、裏返して下から見たり、後ろや正面から眺めたりした。そして、彫刻の顔を見つめながら、自分の口を平らに突き出して、鴨の顔マネをした。
「なんだか、間の抜けた、のん気そうな顔をしている」
「あげる、それ」
「くれるの?」
「うん。本当は、ヤスリがけしたほうが、きれいに仕上がるんだけど、こうして荒い彫り目を残しておくのも、手作り感があっていいかもしれない」
「でも、これ、小さい子にあげるんじゃなかったの?」
「まあ、そのつもりだったけど、あいつらはワシとかタカとか、猛禽類のほうが好みのようだからね。また別に作ることにするさ」
「そうなの。じゃあ、もらう。ありがとう」
「ああ」
 充は参考のために見ていた鳥類図鑑を閉じて、机の上の木くずをかたづけ始めた。


「ねえ、一ヶ月前にもこんなふうに私にくれたよね」
 鴨の彫刻を机に置くと、小遥はいった。
「バラの花を。もちろん、生まれてはじめて見た真っ赤なバラ。すごくきれいで、びっくりした。一体どこから手に入れたのかと、不思議に思った。そのすぐ後、シイちゃんがあんなことになって自分の部屋で倒れてしまって、その時には、床の上に大量のバラの花びらが散っていた。私にくれたバラと、きっと関係があるんでしょう。それでやっぱり訊きたいの。あのバラは一体なんなの?」
 充は息を吐いて、黙って少し身じろぎすると、やがていった。
「確かに、あれは共同事業だったよ。俺とシホコのね」
「共同事業?」
「そう、とても上手くいった事業。それは、この屋敷でバラを育て、咲かせることだった。見事に成功したよ。俺は俺の取り分を手に入れることができた。バラの花を一輪。だけど、シホはそれまで育ててきた収穫の一切を、突然全て廃棄する気になったらしい。のみならず、花びらをことごとく裂いて床一面にばらまき、手首をハサミで切ってしまうとは。俺は、かつて生命の生まれたことのないこの屋敷で、新しい生命を育てることは、とても有意義なことだと思っていたよ。だけど、結局のところ、こんなふうになってしまって、今現在、屋敷にバラの花はひとつも残っていない」
「そうだったの。……そのミツル兄さんの取り分を、私にくれたの?」
「それは、とても美しいものだったし、お前にあげたら喜ぶんじゃないか、と思いついた。それで、お前にあげることにした。うれしくなかったかい?」
「うーん、それはもらってうれしかったけど……」
 釈然としない表情で、小遥が首をかしげた時、外から金物の音が響いた。
 カーン、カカッ、カーン、カーン、カカッ、カーン、カーン、カカッ、カーン……
「あれは、ヒイ兄が、私を呼んでいる」
「屋敷の見回り仕事か」
 小遥は急に机に突っ伏して、すねるようにいった。
「今日は、なんだか仕事に行きたくないな。ぼうっと一日休んでいたい気分」
「早く行かないと、ヒイ兄はうるさくいってくるんじゃないのか」
 充は苦笑していった。
「ううん。ヒイ兄はやさしいよ。やさしすぎるくらい」
 小遥は、鴨の彫刻と本を手にとり、立ち上がって、書棚の方へ向かっていった。
「私、行くね。これ、ありがとう」
 小遥は本を元にあった棚に戻すと、小走りで図書室を出て行った。
 充は木の角材を足元の棚から拾い上げて、机の上に置いた。このような木片は資材室へ行けば、ほぼ無尽蔵に転がっているのだった。
 充は、目の前の木材を見つめた。そうして、新たな作品(ワシか、タカか)に第一刀を刻んだものかどうか、思案していた。


散文(批評随筆小説等) 七人の話 その4 Copyright hon 2007-12-16 22:27:00
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