アンテ


                        11 血

いってきます
の合図に
ドロップの缶を三回振る
テーブルに置くと
それは部屋の一部分にもどる
吐いた息も
まばたきも
たぶん
あたしそのものが
この家に所有されていたのだろう
リエちゃんの存在に重ねるように
髪を結って
鏡にほほえんでみる
どうか
届きますように
拍手を打って
家を出る
ぐるぐる腕を回した勢いで
転びそうになる

ふやけた指先は
朝まで直らなかった
浴槽には
しっかり栓がしてあったのに
お湯がぜんぶなくなっていた
裸の身体を起こして
冷えた肌をあたためていると
どこからか
おかえり
と声がした気がした

ひたすら
真っ直ぐに進みつづける
たいていのことは気持ちでなんとかなる
って主張したのは
たしか成美だ

なにがあっても
絶対に曲がらない
装置自身の歪みや癖を
最初に測っておいて
望遠鏡の向きを自動補正するんだ
って教えてくれたのは
たぶんツキくんだ

なぞなぞです
周りになにもなくて
白一色で埋め尽くされた世界で
真っ直ぐに進むには
どうすればいいでしょう
訊ねたのは
だれだっただろう

あーあー

突き当たりで
これ以上進めなくなる
見覚えのある
リエちゃんのアパートが建っていた空地
風が遠くの景色を揺らしている
雲がときおり陽をさえぎる
よかった
まだ消えていなかった
大きく息を吸って
吐く
これ以外
方法を思いつかない
目を閉じる
静かになる
暗やみ
に足を踏み出して

観覧車のある丘
を何度も夢で見た
ガラス細工みたいな夕暮れ
空気が澄んだ秋の朝
流星が降る夜
いろんな風景のなかに
観覧車は静かに立っていて
ゆっくりと回りつづけている
あたしは箱のひとつに乗る
係の人はいない
箱はゆっくりと上っていき
頂点に達したところで
観覧車が激しく軋み
突然動かなくなる
あちこちのネジが飛んで
鉄骨が歪んで
他の箱が次々と落ちていく
あたしは遠くの風景から目が逸らせない
小さな家並み
人々の息づかい
大丈夫
きっと大丈夫
くり返しつぶやく言葉が
自分に言い聞かせているのか
それとも
観覧車に話しかけているのか
わからなくなる
そんな夢
本屋でぐうぜん手に取った童話
表紙の観覧車の絵
を見た瞬間
息ができなくなった
あたしの夢と
同じ

作家の名前を
胸に刻んだ
せきや
まゆこ
住んでいる街を
突き止めるのに
それほど時間はかからなかった

不思議な感覚
見えないのに
在るのがわかる
そっと伸ばした指先に
ノブの感触
ゆっくりと回して
見えないドアを開ける
中に足を踏み入れると
空気が重くなる
靴を脱いで
台所を通り抜けて
奥の部屋
暗やみなのに
様子がすべて見てとれる
物が極端にすくない
カーテンが窓をさえぎっている
テーブルの向こう
だれかが倒れている
だらしなく伸びた手が
転がったナイフが
床に広がった血が
土気色の表情が
リエちゃん
死なないで
手のひらで頬を包む
何度も名前を呼ぶ
何度もくり返し呼びつづける
声が
なんて遠い
あたしの手が
リエちゃんの肌と同化する
頬のなかに
ゆっくりと指がもぐり込んでいく
重なって
ひとつに

かちっ

空地の片隅
うずくまったあたしの
膝や両手を
やわらかく受け止めてくれる
雑草が
なにもなかったように
風に揺れている
太陽の陽射しがまぶしい
川の流れが
かすかに聞こえてくる
名前を呼ぶ
喉から声を絞り出す
伸ばした指の先
光るものを
掴み取る
それはナイフだった
赤黒い血のついた
紛れもない
ナイフだった



                          連詩 観覧車





未詩・独白Copyright アンテ 2007-12-14 01:53:12
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