消えるもの 残るもの
深水遊脚
詩学社の倒産の話を聞いた。そして今できることは在庫となっている詩集や詩学のバックナンバーを買い取ることだとの呼びかけを見た。本当にそうだと思った。少しでも多く詩学社にカネが入るようにするには、在庫をちゃんと定価で買い取るのが一番いい。その後の行動は私にしては早かった。詩学社とのメールのやり取りを始め、そのなかでいくつかの詩集を希望し、お金を携帯を使って振り込んだ。その結果、かなりの量の詩集と詩学のバックナンバーを買い取ることになった。とはいえ私のぶんの売上も、焼け石に水だろうと思う。ネットで広がりつつある買い取り運動があるいは詩学の復活に繋がるのでは、と願う内容の発言も数件見た。そういう方向に事態が進展することを望むのも悪いことではない。でも、現実に何かは消え、何かは残る。詩学社という会社が存続するためには売上が必要だった。お金は一時的になら銀行から借り入れることも出来る。知人から借りることも出来る。出資を募ることも出来る。でも借入金は返さなければならない。出資金はそれに見合う財産を最終的には分配しなければならない。その源泉になるのが売上だ。詳しい財務状況は知る由もないけれど、詩学社の売上が十分でなかったのにはそれなりの理由があるのだろうと思う。皮肉にも倒産で話題になり、一時的に需要が急増し、在庫をいくばくかの現金に変えることができたとしても、売上が十分でなかったそれなりの理由が変わらない限り、復活はきわめて困難だろう。
何かは消え、何かは残る。
売上という結果に至るその前には、カネを払うかどうかという強度に現実的な判断を買う人がしている。その強度な現実感と、詩にまつわることとは相容れないものなのではないか。詩にまつわることにもいろいろあり、いくつかはその強度な現実感になじむものもあるのかもしれない。あるいは逆に、強度に現実的なものを排除した非現実感を徹底するならばその非現実感に対してカネを払うこともあるかもしれない。でも、カネのやり取りと詩は、どうにもなじまない。カネは流される者、踊らされる者、落ち着かない者がやり取りするもので、取引する者は情報やまわりの状況に対して受け身になる。詩はその反対だろう。受け身のまま読んでどうなるものでもない。何も感じようとしなければ、壊れた言葉の欠片に過ぎない。でも言葉に根気よく関わろうとすることで言葉と人間のあいだに、それまでにない新たな関わりが生まれる。
受け身になるか根気よく関わるか、その違いは目に見えない。「詩集」と「株式」がどのように評価され買われるのか。ある「詩集」が何かの賞を受賞したから買われる場合は「株式」に近い買われ方かもしれない。詩という分野の受賞作品を買い、読み、人との会話で話題にすることでいい思いが出来るかもしれない、そんな期待をこめて買うという仕方は、どちらかといえば投資に近い。一方、ある「株式」がその会社のCSRの一環としての環境問題への取り組み(本業とは異なるもの)に対してよいイメージをもったから買われたとしたら、それは「詩集」に近い買われ方かもしれない。あまりに無垢で無防備な関わり方ではあるけれど、一応そこに株式と買った人との関わりが生まれる。それは投資判断の合理性とは相容れないという点でわずかに詩的かもしれない。強引なたとえでわかりにくいかもしれない。要するに買うものが具体的に何であるかより、そのものと人とのかかわりの質がどうであるかが大事になる。貨幣も突き詰めればその奥に人がいる。すべての取引は、中間過程を取り除き物々交換にまで単純化すれば、必ず人と人との関係なのである。カネは交換の比率を示すものでしかない。それを錯覚してカネがすべてだと思ってしまえば必ず失敗する。短期的にはうまく行っても長期的には必ず。それを知ってか知らずか、人はカネに狂わされる。思考は単純になり、受け身になり、不安になる。
消えるもの:詩の言葉の貨幣額での評価 残るもの:詩の言葉と人間とのかかわり
このように仮に言っておこうと思う。でないと収拾がつかなくなるので。今回買った詩集とは別に、私の手許には詩学社の詩集が3冊ある。いずれも関東在住の折、在りし日の「ぽえむぱろうる」で長時間の立ち読みの末に買った、わりと思い入れのある詩集だ。その3冊の詩集、これから届くであろう詩集や詩学のバックナンバー、それらと私とのかかわりのなかで何が生じるのか。それを書いてゆこうと思う。残るものを「詩の言葉と人間とのかかわり」と仮定したのだから、検証をしてみるのは当然と思う。でも他の人間と詩のかかわりについて私は書くことが出来ない。自分についてしか出来ない。それはもしかしたら間違っているかもしれない。そんな私語りは、興味ないといわれればそれで終わりだろう。でもとにかくやってみようと思う。下記の詩集等のうちいずれかにつき散文を書いてゆく予定でいる。
いま手許にある詩集
『蒼茫』 斉藤圭子 著
『空の重ね着』 北岡都留 著
『鏡と舞』 竹内敏喜 著
今回購入した詩集・随筆・詩学バックナンバー
『不まじめな神々』 阿賀猥 著
『家族 そのひかり』 伊藤芳博 著
『工場』 石木十土 著
『薄明行』 大谷良太 著
『林檎の期限』 加藤栄子 著
『水の国−ウォーターランド−』 華原倫子 著
『旅立ち』 梶原しげよ 著
『ノースカロライナの帽子』 木村恭子 著
『スプーンと塩壷』 坂多瑩子 著
『時刻表』 嵯峨信之 著
『風の大きな耳』 坂本つや子 著
『心を縫う』 白井明大 著
『自動販売機』 澄川智史 著
『五月、あざな』 立木早 著
『みたわたす』 富山直子 著
『大きな窓』 布村浩一 著
『海の乾杯』 畑田恵利子 著
『ねぶかの花』 松田研之 著
『朝食』 望月昶孝 著
『街道』 柚口康晴 著
詩学バックナンバー
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