食の素描
平
「万物には形式がある。形式は必ず崩壊する。万物は崩壊する。」
(ーー吾妻滋郎著『認識の基地』序文より抜粋)
*
早い朝が来る。
カーテンを開くと、眼下のビル群を逆光に立たせた太陽がぎらりと登り始めている。
一泊二日の出張の割には良い宿に泊まることができた。
会議は昼前には終わる。
惰眠を貪れないベッド、午前中の拘束という二つの難を除けば、
旨味の多い出張だった。
傍らのデジタル時計には6:35AMの表示。
サイドテーブルには空のスキットル。
昨夜は夜半過ぎにチェックインし、
そのまま見知らぬ繁華街へ飲みに出かけた。
気がつくと自室の中でウイスキーをあおっていた。
気がつくと眠っていた。
腹が空いている。
昨日の昼飯から何も食べていない。
腹が空いていた。
ルームサービスを取るほどの余裕は、財布にも胃袋にもなかった。
シャツを羽織り、ロビーに降りる。
屹立する黒のボウタイを探すまでもなく、
フロント右手の奥から脂の焦げる匂い、パンの焼ける匂いがこぼれだしている。
鼻から胃にかけ、ずしんとした食欲に殴りつけられる。
駆け足をこらえるように、レストランへ歩み入る。
バフェ形式のモーニングスタイル。
朝の日光にきらめく銀色の保温容器。
中に盛られているのは、艶めく桃色のベーコン、ソーセージ。
黄金色のスクランブルエッグ。
汗をかいたピッチャーになみなみと注がれている、真紅のトマトジュースと純白のミルク。
ボイルドブロッコリの、目をなだめるような緑色。
サウザン、ベシャメル、アメリケーヌ、ワインビネガー、
瑞々しい野菜が宝石のように並ぶサラダバーの周囲には、
多種多様なドレッシングボトルが立ち並ぶ。
フロアの一画には、客ごとにオムレツパンを取替え腕を振るうオムレットコック。
早朝にもかかわらず、彼らの前には既に
数名の行列ができている。
その隣には、ライブレッド、ホワイトブレッド、カンパーニュ、
小麦をさまざまに錬金した末の至宝を、自由に温められるオーブン。
グリドルやパンケーキは、専門のブレッドスタッフが焼き上げる。
その他、身体を一回りさせれば、数多くの副菜が目に入った。
窓際の席を取り、ひとまず腰を落ち着ける。
(どう挑むか)
増大の一途を辿り、浅い胃酸過多状態に陥いらせている食欲を抑え、
私は心中で独りごちた。
*
バフェとは勝負である。
朝のバイキングブッフェで君が盛った皿を見せてくれたまえ。
君がどんな人間か当てて見せよう。
ブリヤ・サヴァランの言質を孫引きするまでもなく、
その皿には料理を盛った当人の嗜好、性癖が如実に表れる。
現に、私はもう一度、周囲のテーブルを眺め回してみる。
そこにはテーブルに座る人間の数だけの、食の群像がある。
大皿いっぱいに料理をひしめかせ、そのすべてをドレッシングの海に沈めている者。
ベーコンとソーセージだけを皿に積む者。
温野菜と水だけをテーブルに並べる者。
新聞とコーヒーをメニューのすべてと定めている者。
その姿は様々だ。
食事の形態でその人となりをすべて推し量ろうとするのは暴論だが、
しかしその人となりの一端は、確実に朝の皿の上に顕現する。
それは、ディナーコース、ランチセットで垣間見ることは能わない。
何を選ぶか、何を選ばないか。
どれだけ喰うか、喰わないか。
経済的負担を一律前払いというシステムで処理され、
すべてが食事手の自由裁量にゆだねられる「朝のホテルバイキング」という形式においてのみ、
人はその欲望・嗜好・性癖の一端を顕にする。
また、夜の眠りを通し空洞となった胃袋がもたらす強烈な食欲にさいなまれ、
自らの欲求が最大化している状態。
そして、その欲求を抑える外的要因が殆ど存在しない舞台。
それこそが、昼と夜の食事にはない、
「朝のホテルバイキング」が持つ最大の特異点である。
その特異性に屈し、知らずと己を露呈させる者。
それは、朝のバフェという勝負において、明らかに敗者である。
最大限に膨れ上がった食欲を御しながら皿の上の組み立てを考え抜き、
そのバフェメニューにおけるベストチョイスを繰り返しながら
食欲そのものを満たすことができる者。
それこそが、「朝のホテルバイキング」の、数少ない勝者となるのだ。
勝つ?負ける?一体誰に?
そんなことを自問する愚を行う暇など、
朝の食欲の前には存在しない。
ただひとつ言えることは、
自らの欲求の赴くままに料理を食い散らかし、
レストランフロアを後にする。
そのほんの数秒の間、後ろを振り向いてみるといい。
そのバフェメニューが素晴らしいものであればあるだけ、
喰い散らかした料理の残骸はひどく無残である。
そうして、その皿を片付ける黒のボウタイの視線は、
たとえようもなく冷涼である筈だ。
この朝のメニューは素晴らしいものだった。
質、量、フロアの凛とした爽快な空気。
すべてが、「朝」の幕開けに相応しいものだった。
だからこそ、私は挑むのである。
この素晴らしいバフェメニューを喫し、
昨夜の汚泥を洗い流し、これからの会議に立ち向かうために。
いや、違う。それは単なる表層の話だ。
このバフェに相応しいやり方でメニューを食いつくし、
自らの欲求を充実させ、「朝」を完遂する。
「朝」を完遂させるための形式を、
私はこのバフェの中から見つけ出す。
それが「朝のホテルバイキング」との、勝負の本質だ。
席を立ち、整然と陳列された料理の海の中へ、私は歩み寄る。
朝が、始まる。
*
「万物は崩壊する。崩壊は形式のひとつである。形式は万物為りや?」
(ーー吾妻滋郎著『認識の基地』末文より抜粋)