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この小文は、上記の続きです。
□等身大
湾鶴シュフ
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計ることにこだわってしまう。小さい頃、はじめて巻尺の使い方を覚えた頃のことを思い出す。それは等身大の科学だったし、工学、の芽生えだった。机を計ってみた。椅子を計ってみた。身長を測ってみた。計る道具を夢想して「科学と学習」の特集や図解の特集を読みふけった。計ることでモノは数値になって、それは美しい単位を添えられて高貴な香りにつつまれた。理科の中にこそ、詩は在った、のかもしれない。
□冬納め、あるいは虐殺の予兆に関する記録
矮猫亭ならぢゆん
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鋭角で明晰な夢見たちは語り続けている。語りかける壮年の村主は髑髏の瞳をしていてぴんと背筋を伸ばしている。若衆たちは正座を強いられて、囲炉裏の火は蒼く、暖かさからは程遠い。隠れ者、と隠し衆、たちは瞑目して腕組みを続ける。ゆっくりとこぶしを突き出して若衆頭が、受領の文、を言い伝えの通り引き破ると、髑髏たちは赤々と舌もあらわに声明を繰り返し繰り返し繰り返し。
□見えない
たもつ
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星新一のショート・ショート「おーいでてこーい」を思い出した。
なんだか薄荷をくゆらす、みたいな楽しみがある。安心できる予定調和は、コントの妙味にも近いけれど、3分間クッキングのような、カードマジックの手さばき、じみた風が吹いてきて、楽しい。。僕たち自身の、見て見ぬふりをしている、手のひらにこびりついた汚れも、君からは見えないみたいで、なんだか、ほっとする。町内=世界は、岡田さんたったひとりだけで十分に見えない機能を果たしている。そう言う「僕」だって、実は、岡田さんからは見えてなどいないのだ。
□骨洗いの宿題
池永考志
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男の子が初めて、体、をゆすぶられるのは、身近なひと、だ。変な気持ちは、変な疼きになって、なんだかもぞもぞとかゆくなる。骨までかゆくなる。言うまでもないことだが、わたしたちは大人に近くなると、いつしか骨の芯まで、みっしりと黄色い脂がこびりついて、時々は洗い流してやらなくてはならなくなる。小さい男の子が一人前になるためには、「宿題」という名目で、健全に経験を積む必要があるのだ。お姉さんは薫るように美しく、いつだって男の子を誘ってくれる、うずうずとしたやさしさに満ちているものだ。「洗うというのは本当は洗わないことなの」そう、ほんとうにすべてを洗い流してしまってはいけない。こどもにはこの手加減がわからない。「色んなことが我慢出来なくなって」しまうからだ。つれっとでっちゃおっろ、ガキには十年早いぜ。
□電卓父さん
ミサイル・クーパー
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電卓がほんとうに卓上にあって、発光ダイオードの光でひろびろと面積を占有していた頃は、食卓の上に置いてなんかいなかった。今のパソコンみたいな価格帯でプロ御用達の計算機械だった。お父さんはその頃のロマンを丹前の裾あたりにまとわりつかせながら、雲隠れをした気分になって。今や「数字」は仕事師の扱う道具ではなく、家庭にも溢れ、お茶漬けを食べていても、お父さんを追いかけてくるようになってしまったからだ。電卓は、妻を、つまんない顔をした見知らぬ女にしてしまう。お父さんは夢見がちな少年にもどって豆つぶのような手足でキーに抱きついていたが、食卓には透明な息子がいたことをどうやら忘れていたらしい。ぷちっ。
□あるところに
水在らあらあ
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=97831
危険なくらいに、男前すぎるんじゃないかと、よほどポイントなしにしようと思ったくらいです。心配なくらい、酩酊してしまうくらいです。きちんとガードを上げて対峙するくらいでちょうどいい。そんな、したたるような匂うようなオトコ、です。てのひらに握り締めた岩塩を雪に変えてしまうような、したたる汗をレモンにしてふりまいているような感じです。淑女たち、きちんとガードを上げてから読むべし。少女詩と対極にあるようですがこのポジションは、これはこれで一種の「時分の花」なのかもしれない。(コメント欄より)
□旅の終わりに
ダーザイン
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=101545
すべて承知の上で、あえてリリカル、なんですね。それがいたたまれないくらいに、ほろ苦いです。ほんとうは旅に終わりなどなく、夜明けの気配すらない底の底で、僕たちは金色の絶望とともに、それでも毎夜、目を閉じているのだと思う。時には、美しくたってかまわない。9.11のあの日以来、僕たちは戦中派となり、今、そしてここに、薄められた地獄がエ―テルのように漂う世界の住人となった。隣人たちが人知れずその瘴気に犯されたまま溶けてゆく肺胞をCRTでモニタ―しながら、まだ、自分にだけは「その時」がこないことを確かめてから、ゆっくりと浅い眠りにありつくのだ。(コメント欄より)