結論から言う
私は横書きを愛している。
最近パソコンが新しくなって縦書きが表示されるようになった。
それまではInternetExplorerが6.0以下で、横書きしか表示されなかったからだ。そもそもネット限定で詩を書くようになってからこのかた、ずっと横書きだったので詩が横書きであるということに違和感を感じてこなかった。実際に本の形の詩集を読むことがほとんど無かったがゆえだろうが、紙媒体の詩を読んでこなかったからこそ、詩を書き始めたのであろうし今の私の作風があるのだとも思う。
さて、私のパソコンが縦書きを表示できるようになってやっと分かったのだが、多くの方が縦書きで詩を投稿していらっしゃる。その数が予想していたよりもずっとずっとずーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと多くて物凄く意外だった。
ああ、そうだ遅ればせながらお断りしておくが、別に私は縦書きの詩を批判するつもりでも議論したいわけでもなくて自分が思っている変なこだわりを述べるだけなので悪しからず。もしかしたら無意識に縦書きのデメリットじみた事を書いてしまう(受け取られてしまう)かもしれないけれど、きっと横書き愛好家にとってのデメリットは縦書き愛好家のメリットでもあると思うので、いや、まぁ簡単に言うと
『人好き好きだから』
という落ち着き所だと思う。
そこんところをよろしくお願いします。
で何所までだっけ
そう意外にも縦書きで投稿する人が多いということ。
私にとっての縦書きのイメージには言葉が一直線に心に突き刺さるイメージがある。
光よりも早く、まっすぐ進むメッセージ・心・世界・衝撃・感動・・・とにかく陳腐な言葉じゃ語れない何か、そういうものがグアーーーっと突き刺さって爆発する。
縦って文字の流れからかもしれないけど、落下点の無い下へ深く深く落ちていく。少しだけ先が見えなくて怖い、あの文字の空白に落ちて行く何かを読み取ろうとすると深入りして迷ってしまいそうだ。素敵な魅力を持った形式だと思う。
日本語というものは元々縦があるべき形だし。
紙媒体となれば確実に縦書きがしっくりくる。だいたい詩集にした時めくりにくいし。
しかしネット詩の場合、私は横書きを愛している。
縦の広がりではなく横に広がる地平線のイメージ
降り注ぐ雨ではなく
霧のように広がり、たなびく
雲の言葉
そこに言葉にできない気持ちの日が浮かび、夕焼けになるか朝焼けになるのか宵闇になって群青に染まるのか。無限の広がりと世界がゆるやかに読む人を包む。引きずり込むような力強さは無い、まっすぐに突き刺さったりしない、しかし柔らかく周りを覆い何時の間にか侵食する。呼吸さえ、蒸発するほどに。そしてそこ其処にゆっくりと降る雪のような言葉。
横書きの詩は、地平線に降る雪のイメージ。
縦の詩とはまた違った一体感を抱く。
そしてネットという媒体で見たときに、私は横書きの方が好きだった。
インターネットではバーをクリックするたびに少しずつ進む。じわじわと降り積もっていく言葉には、横の広がりのほうがすっきりきた。縦書きだったらもっと一遍にがっと見せて欲しい。それこそ光よりも早く、言葉のスピードが視線に後れをとって欲しくない。じゃないと私の貧弱な感性は突き刺さる雨を認識できなかったし、とろとろとした私の書く詩物語はスピーディにスマートに勝負できるほどグラマラスではなかった。
伝えたいことは大きすぎて多すぎて、とても一つの光になんか凝縮できそうもない!
あふれる玉虫色、その中で受け取れる光を受け取って、その中で酔っ払って欲しい、
もっと広がって欲しい世界観、私の世界が読者を侵食すればいい、それこそ感染するみたいに・・・・!そしていつか、私の背中に生えているよりも、もっと大きな想像の翼で、読む人が私の世界へ自由に飛び立っていってくれないだろうか・・・・?
そんなことを望んでしまう
私は
私の詩は
横書きを愛している
なので私の場合、書くネット詩は全て横書きになっている。
詩(体)に似合う書き向き(服)でないといけない・・・・
なにより投稿するときは横で書いているから、いざ表示された時に具合がわからないというのもある。
そんなわけで、私は横書きを愛しているのだが現フォで詩を読んでいると
『あーこの詩、縦で書いてあるけど横の方が素敵になるのになぁ』と思ったり
逆に
『何故にこんな鋭いのに横書きにしているんだろう、きっと縦書きにすればもっと体が泡立つのに』
と思ったりする。
まぁポイント入れる時はあまり考えないようにはしているのだが・・・(考えた方がいいのか・・・・(悩)
やはり少し残念だ。
『横書きを愛している』
デリカシーの無い、誤解を呼ぶ表現があったらご指摘下さい。修正致します。
むしろ誰か縦書き愛好家の方が同じような文を書いてみて下さらないだろうか・・・・あ!議論や喧嘩無しね!