ワタナベ [5:20:55]
看板=とびいれっ ひとりぼっちの寸評会
ワタナベ [5:21:31]
てな感じで時間をつぶさせていただきます
ワタナベ [5:21:44]
未詩、独白への寸評は行いません。
ワタナベ [5:23:58]
7月8日、午前5時以降の作品について寸評します。
ワタナベ [5:31:41]
SOS hyro氏
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=125454&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D0
ワタナベ [5:39:59]
まっすぐな気持ちの詩 まっすぐな気持ちていうのはもちたくてもなかなかもてるものではないのでうらやましく思います。君を愛してやる なんて。こういう詩は作品として冷徹な目で見るよりも、少し視点をかえて共感してみよう、あるいはこの詩からどんな方向の作品が生まれるんだろうなんて考えてみると、楽しくなりますね。歌詞のように、いろんな表現であらわしてみよう、だとか、ロックにしてみよう、ポップスにしてみよう、ミュージカルにしてみよう。無限の可能性を秘めています。詩を楽しんでくださいね。書くことが楽しくなってくればまた表現も変わってくるとおもいます。そしていろいろ表現していくうちに、もっともっと気持ちだとか自分のことだとか、深く知りたくなるんじゃないかなぁと。
ワタナベ [5:43:39]
優飛さん NOT FOUND
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=125456
ワタナベ [5:53:42]
んっと、今回は細かいところをつついてみたいとおもいます。2連目に注目してみましょう。
>さながらわたしたちは〜
あー、細かいですが、さながら〜の用法は、さながら〜のように、と比喩として使用されます。ここ一つ
「かごの中の鳥にもなりきれずに」
ここが少し読者にとってはひっかかる場所です。籠の中の鳥にすらなりきれない、開け放たれた扉の前で躊躇している姿。単純に比較すると、開け放たれた扉の前で躊躇しているなら、いっそ籠の中の鳥であったほうがいいじゃないか、というALL or nothingの考え方が提示されていますが、じゃぁどうしてそう思うの?って作品に問いかけたときにその答えが示唆されることなく詩が進んでいきます。詩中で答えを明示する必要はありませんが、なんらかの暗喩や比喩、かるく示唆してあげるだけでも読者はとても読みやすくなりますから。
ワタナベ [5:57:29]
追記:細かく読むと出たり入ったりの繰り返し でしたね。失礼。それでその後、昨日と同じ今日、変わらぬ毎日、それよりも籠の中の鳥であったほうがいいって話でしたね。最終的に同じ毎日に辟易している姿。かな。
ワタナベ [6:02:33]
アマモリトオル氏 「累積」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=125457
ワタナベ [6:08:59]
うん、そうだなぁ、「立体としたそれは〜」で考え付いた評なんですが、良くも悪くも、紙の上でのみ存在してしまっている詩だなぁと感じました。「蛍光灯」と記されても、それはイメージとして読者の前に立ち上がってくるわけではなく、ただ、「蛍光灯」という言葉として紙の上にのみ存在しています。人の情念を描くのであれば、ある程度紙上よりイメージとして読者の中で立体的な像をむすび、読者の前に立ち現れてこなければならないのではないかなぁと考えました。これはハードル非常に高いですが、書けている作品だけに、次のハードルは高いぞってことなのでしょう。もっと細かい評が必要であれば、某罵倒サイトへもっていくことをお勧めします。
ワタナベ [6:10:36]
ここらへんでちょっといったん投稿してきます。読者にとって読みやすい長さでしょう。