説明とわたし。
すぬかんながぐつ。
王様とわたしではないがわたしはここに所属してだいたいたぶん三年ほどになる。正確にはわからない。はじめ友だちのみきすけさんに教えていただいた。(現在ハンドルネーム。ダイポールアンテナさん。)ずっとこころのなかで詩や唄を描いていたわたしは恐る恐る投稿してみた。そのときはじめにしては自分ではよい評価をいただいたのでとてもうれしかった。おそらく新人ということでいただけた評価もあったと思う。でもわたしには大変トラウマやいろいろなものもあったので詩の表記の仕方やいろいろなものがわかりづらかったりしたに違いなかった。それでもたまにいただく評価は大変ありがたかった。それはあなたのを読んでいますよ。でありまあ悪い点。もありますがよい点もありますよでありおおむね感じたものはわかりますって気持ちだったと思う。人は他社と共感 できるとほっとする。作家の田辺さんが(田辺聖子さん)。阪神大震災のときに誰もご近所で揺れのあと家からでてくる人はいなかったと著書『ナンギやけれど‥わたしの震災記』に書いておられた。これは大変さみしいことだと思う。人ってこわかったねとか共感するってほっとしたりするものだ。なぜとか考えなくてもそうだしなぜかと考えればそれは人間はいきものだからだ。動物でも植物でも他とのかかわり合いの仲で生きているからだ。エコシステムってことである。さて評価の話に戻るが人間には自己評価と他者評価がある。この二つが安定しないと人はしんどいのである。物事はだいたい何かの写し出しであることが多いから(たぶん)。自己評価と他者評価が安定しないと人間は悩むのである。だいたいわたしの場合を考えてもそこにフィルターがかかっていてそこの部分に何か問題があったりもするからやっぱりそこの部分を治すには自己分析が必要だとも思う。人はわたしも含めて他者分析しているとき一緒に自己分析をしているというより相手をみながら自分をまさに自分の仲にある部分をみているときもあるのかもしれない。それが許せなかったり赦せたり。というふうに考えると人生はやっぱり自分と他人を旅する旅である。と書いてやっぱりわたしは偉そうと思った。