白いタルタルソースの伝説(1/2)
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平助は重苦しい空気をひしひしと感じながら、発言を続けていた。
こういった問題の検討について倫理的な側面ばかりでなく、生物学的社会的なアプローチが必要だということを、平助は執拗に説明しようと試みた。
平助がいうには、大人に保護されなければ生きていけない赤ん坊は、大人の保護欲求を促進させるべくあらかじめ愛らしい容姿を備えているというのだ。人間の眼球というものは、生まれた時から死ぬ時まで、大きさがほとんど変化しないのだという。すると小さな子供の頭には相対的に大きな瞳があるということになる。これは見た目の上で保護を要求するサインとなっている。
大人が赤ん坊に愛嬌を感じるというのは、人間の社会性がもたらす自然な感応である、と平助は言う。人間以外の動物でそのような感覚をもつ種族はあるものかどうか。
ライオンの家庭には父親がまず最初にエサに手をつけるというルールがあるけれど、その掟を破って父親より先にエサに飛びついた子供は、父親ライオンに即座に叩き殺されるのである。
子供の愛嬌について、本能か計算かなどと考えてみることはできるかもしれないが、たとえばニワトリと卵の話題で学者が百年以上も議論してるというのはヒマな話に思える。これらは車軸の両輪というもので、どちらかが欠けても回らないというのが本質なのだから。
ぼくは学生の時分に、国語の授業で教師から性善説と性悪説のことを教わった。その教師は神父であった。彼は性善説と性悪説について説明した。性善説とは、生まれたての赤ん坊を無垢で善良な存在と考え、成長とともに悪をおぼえて後天的に悪に染まっていくものであるとして、人間の本性を善とみなす説である。性悪説とは、赤ん坊というものを欲のおもむくままに色んなものを取ったり壊したりしようとする性悪の存在と捉え、大人の正しい教育によって初めて善なるものに導いて成長させることができるとする説である。
それらを説明しおわると、その教師は突然声を荒げて、性善説なんてバカな話があるわけがない、と一蹴した。こんなバカな説は口にするのもバカバカしいのだけど、そういうことを主張する人間も世の中にはいるということで、一応諸君らに説明したのである――と、彼はひどく憤慨の様子を見せるのだった。
なぜその教師が性善説にそんなにこだわって憤慨したのかはよく分からなかったが、長年の職業経験がもたらした帰結というものだろうか。秩序が善であり、無知や混沌が悪であると考えてみれば性悪説を採れなくもない。そのとき盲目的な怒りに駆られていたいた教師の顔はなにかの動物に似ていたようだったが、ぼく自身は、そういう二元論のどちらにも与したいわけではなかったのだ。
以上のようなことを、平助は身振りを交えて、しだいに顔面を紅潮させながらまくしたてていたのであった。
その時、カアンカアンと槌の音が場内に響いた。
「発言から夾雑物を排して、簡明を旨とするように」裁判長は目頭を指の腹で押さえた。「というのは、はやく帰りたいのでね」
実際、疲れてよどんだ寡黙が法廷をおおっていた。傍聴席は閑散として人影がなく、左の隅の座席にただ一人、ちりちりの頭髪の中年男が眠そうな目つきをして座っていた。
「わかります。わかります。だが、あなたはそうおっしゃるけれど、まったく、ぼくには一生の問題なんです」と平助は痛切に訴えた。
「誰だって抱えているのは実に一生の問題だよ」と裁判長は言った。
そのなにげない一言に平助はちょっとひるんだ。
――なるほど、ぼくの量刑の問題と裁判長の帰宅の問題を一緒くたに混同して考えていたのは、どうやらぼくの方である。それはこちらのミスであった。
彼の性質の根底には、ぼくと相容れないものがあるが、社会的に長がつく肩書きを得ているだけあって、決してバカではないらしい。
油断は禁物である。ぼくは意識を研ぎ澄まし、発言における戦略を用心深く変更するだろう。
ぼくは自らの過ちを認めながら、そのつど方針に修正をくわえることができる柔軟な男なのである。
平助はこほんと咳払いをすると、つぎのように述べた。
「では、こうしましょう。例えば拳闘で殴りあうにしたって闘士が同じ土俵に上がらなければ始まらない。争いにおいては争いの当事者たる双方が互いに妥協をおこなう。自らの勝利のための妥協を。これがルールというものです。マナーの問題といいかえてもよろしいが。今から我々が取り組んでいく議題は、まさに重要度の序列を考慮して絞り込まれるべきです。水が高きから低きへ流れながら裾野を広げていくように、協議すべき議題も大きな問題からはじまって細部へと至るように適確に選別しなければなりますまい。さもなくば、あらゆる議論は無秩序の塵芥を後に残すのみです。たえず累積しつづける煩瑣な事項に秩序の枷をもって構造を付与することによって、我々は問題の抽象化をおこない、社会性の観点から一連の全体を語りうるのです。我々は秩序へと奉仕する強い信念をもって、ここに共同の志向を保つべきなのです。後に訪れるずっと鋭い対立のために、またそこで互いが自ら勝利するために、です。実に現世における戦いというのは、自分自身との戦いに他ならないのです。そして、ここで第一に扱われるのはタルタルソースということになります。なぜなら、それは今回のケースにおける核となる事象なのです。タルタルソースというものについての互いの認識のずれと重なりを発見し、それ自体を認識すること。ひいては、この問題について我々の討議のとっかかりとなる共通の地平を見出すことをここに提案したいのです」
しかるのちに、と平助は言った、囲碁でいう「封じ手」のように、本日の議論を中断して、後日を期してまた議論を再開することができるだろう。
無駄に議論を長引かせて日程オーバーで審議を尽くしきれないことこそが、社会的にみて害悪となることは言うまでもない。
とはいえ本日必要な分だけは我々は最善を尽くさねばならない。それさえこなせば、あとは帰宅でもなんでも勝手にご自由にどうぞというわけである。
平助はそこで挑戦的な笑みを浮かべると、しいて平穏な声音で言った。
「まず、タルタルソースとはなんなのか。こんなことからはじめてみたいと思います。ぼくはここに少し調べてきました。タルタルソースとはマヨネーズのベースに種々の野菜とタマゴをみじん切りにして和えたもので、魚介類のフライなどによく合います。『タルタル』の語源はキエフ公国の人々がモンゴルの遊牧民を指して呼んだタタール人という語にあります。タタール人とはボロディンの『だったん人の踊り』にある、いわゆる韃靼人と同じです。西欧に伝達する過程で、これにタルタロスという語が混交してタタールはタルタルへ変化します。タルタロスとはギリシャ神話における奈落の神あるいは奈落そのものであり、冥王ハデスが管轄する冥府のさらに下層、暴風が吹き荒れ、神々も近寄るのを避けるその暗い空間では、神に対し重大な罪を犯したシシュポスが永遠に岩を押しつづける刑罰を受けています。このようなタルタロスのイメージが重ねられたことから、勇猛なタタール人に対する当時のロシアの人々の恐れを窺うことができるでしょう。十四世紀にモンゴル帝国が終焉したのちも、二十世紀までタタール人の呼称は使われつづけました。なお、タルタルソースそのものの起源については諸説があります。ナポレオンが遠征先の食堂で見出したという説もあるようです。以上、述べたのは、辞書的・歴史的なタルタルソースの説明にすぎないわけですが」
平助はハンカチで額の汗をぬぐって、上唇を舐めた。そして視線を上げて場内を見渡すと、平助は声のトーンを一段高めて、さらに発言を続けた。
(2へ続く)