馬車
三州生桑

大学に登校する途中
「月の光」のメロディのハミングを聴く
それに和して口笛を吹く
いつの間にか背後に二頭立ての馬車
御者は中学生くらゐの美しい少年
促されて乗り込むと、先客二名
中年の男と、私と同世代の美人
窓から外を見ると誰も注目してゐない
窓硝子は薄緑色でラムネ色の気泡が入ってゐる
外の世界がゆがんで見える
画材屋の前で停車し、三十歳くらゐの女が乗り込んでくる
その手には巻かれたままのキャンパス
彼女は男と話し始めるが、要領を得ない
「咽喉の調子が悪い時は黒鯛にかぎる」
「刺身で食べるの?」
「もちろん。かぶり付くのさ」
美女と私は大学の前で降りる
彼女が何学部なのか分らない
それから登校する度にその馬車に乗る
卒業して、彼女と連絡がつかなくなる
男に尋ねると、腹立たしげに答へた
「あの娘はすっかり変はってしまったよ。もうこの馬車に乗ることはないだらう。この馬車を見つけることすら不可能だね」
絵描きの女も哀しさう
「自分のやりたいやうに生きようとしないからさ」
私はしばらくの間、馬車を見失ふ
久しぶりに「月の光」を聞く
振り返ると馬車が停まってゐる
美少年の御者は淋しさうに「あなたはもう乗れません」と言ふ



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未詩・独白 馬車 Copyright 三州生桑 2007-06-14 20:43:20
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