新しい政治について
生田 稔
新しい政治について
今日、「法の精神」(モンテスキュー)の三回目の通読を始めた。90ページまで読み、
得るところがあった。彼は議員の抽選制について述べている。一考に値することである。
彼はまた議員の資格についても、色々の考察と古来の支配者の選出の実例を挙げている。
この本を読み進むうちに、現代の選挙制についての一つの試案がうかんできた。
そして読むのを止めて、黙想を始めた。支配者や議員になるには、人格と知識・年齢・経験が求められることを思いついた。この本の中で、地位について買官制の優れていることをモンテスキューはのべており、彼は法務官の地位を自ら買官制によって彼の父から受け継いだことを述べている。別に買官制でなくともそれに準じた供託金制にすればよい、
数千万円ぐらいの金額を議員や支配者あるいは大臣は支払うことによってその地位をえる、
だから貧困な人はなれない、もちろんその支払われるべき金は正直に働いたものや先祖からの財産とか,正当に寄付を受けたものであるべきである。その金額はやめるときに利子をつけて返してもらえる。もちろんかなり高い利子をつけるべきである。
さらに、議員その他国政や地方政治にあずかる者は、大学相当の学歴と在学中の良い成績と共に、資格試験に合格しなければならない。しかし、中国の科挙のようにあまりにも高い知識は必ずしも必要ではない。一定の受験資格科目をさだめ、それぞれ60%を取得すれば十分ではないか。イエス・キリストは30歳でバプテスマをお受けになった、支配者や指導者はそれぐらいの年齢に達している必要がある。
その上で、さきほどの抽選をおこなうのである、定員を定め、定員以上に志願者がある場合そうすればよい。抽選は神意を確かめる方法として聖書使徒行録にのっている。勿論の事として、過去十年ぐらいの間の刑務経験があってはならないことにすると良い。必ずしも刑務経験が皆無を条件にする必要はない.使徒パウロはイエス・キリストの追従者を迫害し死に渡したりしていたが,神意により、使徒として任命された.その次第は、聖書使徒行録に詳しく書かれている。悪をある程度またはかなり行った者のほうが悔い改めて善行に専念する者がいることは、聖書や巷間にその例を見るのではなかろうか。
そして、議会は3院制にし。1院は資格試験と抽選に依った議員、2院は資格試験と共に一般の選挙による投票で選ばれるべき議員、第3院は貴族院を設立する。貴族に属する人々も尊重されるべきである。そのような人たちの価値は貴ばれるべきではないか。何故か、王や貴族は伝統と社会においてのその尊い立場を認められて、国政に寄与すべきである。貴族院に就いては、貴族足るべき資格を審査する委員会を設け、資格ある貴族たちを一定の任期と国政に役立たんと願う貴族にもとずいてその委員会が任命することにすればよい。この論議は、「法の精神」からその大部分を得た。議員の質が問われている今、議員の資格を厳密に定める立法が望ましいのではないか。それにはこの抽選方式と資格試験と一般公募をかね合わせた方法が良いのではないかと思いついた。人格・教養・財産の三つは指導者に相応しい条件である。そしてこの条件が非常に相応しく活用できるのは、この条件を満たす限り誰でも政治に参加できるのであることである。1院は公募されるのであるから、民意もよく反映され、2院は抽選によるから資格試験に通るばかりではなく人格経験をよく判定することにすればよい。大学卒業以上の者でなければならないから、在学中の成績と在学校の人格評価と世評に頼ればよい。30歳以上ならだれでも良いのであるから、いまの選挙法とあまり矛盾しない。しかし、こういつた改革もフランス革命やロシア革命のように、一挙になされてはならない。この政策が採用されたとしても、残留政治家を多く残し徐々に移行していかねばならない。ペレステロイカのときもそうであったが、突然の政府倒壊はショックが大きいことは言うまでもない。自由や解放は、病気の回復と同じように、それ相当の時間を必要とするのではないか。
先年の12月号「文芸春秋」に西暦2004年には金銭の流通が封鎖されると言う情報を読んだどこから出た情報かは確かめてはいないが本当だとすれば、政治経済やもろもろに影響するが、何とかうまくやって欲しい。第二次大戦後、米国占領下でこれが行われたが、そのご日本はうまく経済を持ち直すことができた。あまりな高額な財産や、あまりにも少ない所持金は不幸を生む。(2005年3月12日現在、2004年には経済封鎖は行なわれなかったが、ペイオフ制の施行が定められ、銀行預金についての実質的制約は定められた。高額財産が信用できなくなったという点で、経済は戦後間もなくして行なわれた預金封鎖と幣貨切り替えのときと少し似た影響を受けることになった。これによって預金が数行の巨大銀行に吸収されると言う資本の独占化はある程度防げ,貧富の格差にも良い影響が出るのではないかとわたしは考える。しかし人間と言う者は経済的野心を捨て去ることは決してできないだろうからペイオフをそのまま楽観視することはできまい。)