口誦さむべき一篇の詩とは何か
んなこたーない


戦争だって
ちょっと大きな事故
そう思う用心ぶかい日
いちばん寒い日
下着一枚よぶんに着込んで
なんなら下ばき二枚もはいて
三種の薬をよまされて
じゃ行ってくる。
お帰りは?

朝霧のような不満の時代
思想をたもつだけならば
確実、きまぐれで、たいした音もたてずに
たまの日曜、三色すみれで部屋を飾る
その気になれば恋でもする
だが感じることはこわれること
国家よりさきにこわれやすいきみ。

わたしが花ならきみを眺めてあきないだろう。
時計はまいにち
あちこちからささやいている、眼へ
神経へ。耳は
なにかを聞かない。カレンダーの数字は
きちんとそろっているだろう
誰かさんが註文する一生涯のように。
だがきみの
決断たるや
いいたくないが、どこにもない
そこにも心にもない
第一、ふぞろいでかたちをなさない。
人間の
決断は
二色刷りでさえないのかと
わが友カミキリムシは興味本位できいている。

成功した男なら決断をしまっておくだろう
ファイル・キャビネットに。
だが生はだれにも一度か二度は
決断をせまる――
逃げ切れやしない
タンブラーのように蒼白な深い谷だ。
溺れることこそわれわれの権利だ
そのもっとも長い瞬間こそもっとも衝撃
関わるものについに関わるじぶんの姿を
ドリルがつらぬく。

いまきみは
どんな瞬間?
手をとりあうのは沈黙のとき
肩だきあうのは涙のとき
キスのときさえ
こころをつらぬく言葉も知らず。

敵とわかれば王者のように
カミキリムシなら戦うだろうに
年齢の材質と戦って、暗い内部から出て
明々白々な日々のなか、戦いはじめ
使者の眼にときどき近く
思想の繖形花序をぼろぼろにする
泣きもわめきもしないのは彼が
生きものだから
近似とさえ交わらない絶対の一種。

カミキリムシが九月へ墜ち込んで死んだら
彼を飾れ、飾ってやってくれ。
まじりあった色のへんな斑紋だった友を!
こうして
ちいさな決断は記念できても

われわれのおおきなむなしさは
どこに吊るすこともできない。
ほんとうの決断が
へりをのこしてそれを消すだけ。


これは堀川正美「決断」という詩ですが、一読して分かるとおり、実に苛烈な内容の詩です。
現代の市民生活の内部における鬱屈した精神を見事にsatireしてみせたこの詩は、
この詩人のテクニックを証明していると同時にあやういバランスで成り立っているものでもあります。
というのも、「堀川正美詩集1950−1977」を通読すればより判然としますが、
技巧が過剰になりかつ空回りすると、かえって稚拙なものが出来上がってしまうことがあるからです。
事実、この詩人にはそういう詩が多く、全体的にあまり上手くない印象を残します。
それはともかく、この詩に盛り込まれた表現者として危機感覚と
その感覚の捕捉の仕方にはやはり瞠目させられるものがあります。
観察者ではあるが傍観者ではない。そういった類稀な精神の在り方がここにあるよう感じられます。
真偽・本質を見抜く鋭い眼力とその徹底性はこの詩人をある種の極限状態に追い込むものではないかと推測されます。
表現上はどうであれ、そこから獲得される視線の透徹さは何事にも変えがたい。
だからこそ時代の表層は移り変わっても、この詩は無傷のまま、
「われわれのおおきなむなしさ」を剔抉してみせるニヒリズムは効力を失わずにいるのです。
またこの詩は文明批判であり、なおかつ抒情詩であるというふたつの側面を持っています。
しかしこの抒情も、おおくの抒情詩人、つまり不明瞭で曖昧な情緒にもたれて言葉を感覚的もてあそんでいるような詩人とは
性質を大きく異にしているよう思われます。この違いをまた別の面から見てみると、
それは言葉に対する態度の相違ということにもなりそうです。
すなわち、この詩人は言葉に対して、ある種の潔癖さを持っているのではないか。
不信とまでは言わなくても、常にある境界線を保っていて、言葉のなかに惑溺することを
強く拒絶しているのではないかと思われてくるのです。
言語に対してmaterialisticな抒情詩人、こういった特異なジャンルを可能にするのは、
やはり高度にテクニカルな詩作法ではないのかと、ぼくは考えます。
最後にもうひとつ、「決断」と同じように非常にサティカルな手法を持って書かれた詩を引用したいと思います。


つねに現代は現代の後半である
昨日まであった場所を発見できない今日の世界地図
…結果がどれほど悲惨なものであっても
その歴史の第一ページで真相を談ったことがない その
歴史は むろん 最終ページでも何も談らない

絶大な拍手

各人に所属する個別の地平線

圧倒的な拍手

「無数の太陽のなかの最も明るい太陽はどこにあるのか?」
解答は電話ボックスのオームのような声でくりかえされる
「番号をよくしらべておかけください」

                        絶大な拍手

野田理一「楽園」




散文(批評随筆小説等) 口誦さむべき一篇の詩とは何か Copyright んなこたーない 2007-05-25 16:41:48
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