始発前の駅前屋台にて
錯春

 茶色い爪先は陽に焼けているのではなく、
 陽を吸い込んでいるのだ
 日焼けした老人と同じ色の
 みずみずしい大根を屠りながら私はぼやく
 どこだか、ここはと顔をあげると、いつぞやの相模原のおでん屋であった
 あれまぁ、と傍には可愛い神奈川県民の恋人
 すっかり出来上がって、
 どんぶりに顔突っ込んでぐったりしている
 おい起きろよおでん汁で死ぬよ
 と肩をゆすると、ゆーらーと顔をあげ、
 慣れ親しんだ味がするくちびるに竹輪をくわえている
 これ、スープ吸えんだよ。しかも竹輪あちぃからスープも冷めない。どーよ。
 どーよって。私が絶句していると竹輪をもむも
 むもむと爬虫類のように啜って、 
 今度は私の膝に倒れこんできた
 「寝かせてあげなよもう始発まですぐなんだし」
 オヤジがなまっちろい顔をして、上品ではないが
 働き者の笑顔
 「もしや店主、東北ですか」
 「ええ、福島です」
 「私は宮城です」
 「どおりで、お嬢さん色がしろい」
 「そうゆう店主もどざえもんみたいにしろい」
 くくくふふふと笑い合い、膝の恋人を見やると、
 腰に回した腕と腕がすっかり同化して、
 輪っかになり、安心して熟睡している
 オヤジの顔は、白々として
 真っ黒い夜明け前の空気にあぶりだされて余計に青い
 どこからか河のにおいがする
 東北のいくつかの県をまたぐ、
 北上川の(うちの前では江合河と名前を変えていた)濁ったにおい
 ほんとは、ずっと流れて来たんでしょうここに
 おでんの匂いにまざって、懐かしいどざえもんのにおいがする
 でも言わんとこ。祟られたら怖いしおでんは美味いし、働き者の笑顔をするし。私も流されて流されて相模原だし、恋人は可愛いし。
 「店主、訛りませんか。思いっきり訛っておしゃべりしませんか」
 「え。そんな都会のひとに聞かれたら恥ずかしいじゃない」
 「大丈夫。神奈川人は胎児に戻って寝ていますよ」
 「んなごだ言ったってそげな急に訛れんべ」
 「店主。いいぐえーに訛ってっぺっちゃや」
 「無礼講だべ」
 始発が来る頃には、オヤジの影はすっかり薄くなり
 福島は語尾に「だべ」宮城は語尾に「べっちゃ」をつけることを再認識し
 だべべっちゃだべべっちゃ言って、
 幸せな気分でお勘定をすまして店を出た
 途中ふりむくと
 オヤジは屋台を折り紙のやっこさんの形に折り畳んで
 自分自身も自販機と自販機の隙間へと滑り込んでいった
 すっかり赤ん坊の様子になった恋人は、
 ハンバーグ一個分の大きさになってしまったので
 仕方がないから服の中へ入れた
 トレーナーとお臍のあいだはよほどぬくたまっていたらしく
 結局昼までもどらなかった
 

 


自由詩 始発前の駅前屋台にて Copyright 錯春 2007-05-24 22:15:05
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