上海された
石畑由紀子


深夜、男友達から『お前のことずっと上海してた』と電話。ひどく
驚き、『ごめんなさい』とだけ応えて電話を切る。自分の言動を振
り返り、しばらく彼には会わないでおこうと決める。図らずも点と
点が線で結ばれようとするのにはそれなりの理由があって、もしも
誰かに原因があるのだとしたら、それはきっと私なのだ。頭が冴え
てしまったので恋人に電話をする。出てくれたもののすぐに寝息が
聞こえてくる。ねぇ、あなたのそんなところが好きよ。愛しい人に
『私のことどれくらい上海してるの?』と尋ねる恋愛感情を、私は
持ち合わせていない。


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明日から職場が三日間限定で上海される。通勤カバンにサングラス
を詰め込む。途中で銀行に寄って香港ドルに換金しよう。インポー
トコーナーで見かけた今春のコーチの新作はパステル調でエレガン
トだ、社員割引はないけれど絶対に買いたい。


 + + +


動物園の動物たちはみんな上海されたような目をして、まるで野生
が感じられない。猿山だけにいつも健全な社会がある。ボス争いを
して、子供同士が遊んで、井戸端会議があって、夫婦で毛繕いをし
て、メスの争奪戦をして、交尾をして。そういえば、帯広動物園に
は入り口に『せかいいちどうもうなどうぶつ』という檻がある。覗
き込むと檻の中には鏡があって、自分の姿が映し出される。上海さ
れているのは私たちも同じなのかもしれない。だから猿山には大人
ばかりが群がるのだ。


 + + +


上海された猫が車道で踏まれ続けてだんだんとその形状を失ってゆ
く。トムだったらそこでムクムクって復活してまたジェリーを追い
かけられるのにね。私は無責任に、少しだけ泣いた。通りを渡って
今日の予定に戻ってしまえばきっとすぐに忘れてしまう。


 + + +


バスは停留所で待つ私に気づかずに上海していった。慌てて小走り
で追いかけたものの車に追いつけるはずもなく、すぐにあきらめて
視線だけでバスの尻を見送る。これであの電車には間に合わない。
約束の時間にはもう絶対に間に合わないだろう。この小さな歯車の
狂いで私は今、あの人との最後のつながりの機会を失おうとしてい
る。それは同時に、この先の私を別な誰かや何かが当然の顔をして
待っているだろうことにも、繋がっている。






自由詩 上海された Copyright 石畑由紀子 2004-05-03 22:54:00縦
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