魚売り
板谷みきょう
客に魚を届け代金を受け取りそのまま後ろ向きに上手から登場)
本当に、有り難うございました。
(丁寧に礼を述べ、空を見上げて玉の汗を拭きながら)
いや〜、暑い暑い。
(初めて観客に向い)
しかし、昔の人は良い言葉を残してくれたねぇ。『早起きは三文の得』『金は天下の回り物』『辛抱する木に金が成る』ってね。初めてこんな遠くの山ン中の村まで魚売りに足を延ばしてみたけども、結構、売れたじゃないの。さてと、もう少し残ってたからここらで、みんな売ってしまおうか。魚だよ〜。魚。魚はいらんかねぇ〜。
(魚かごに向かいゆっくりと歩を進ませ)
新鮮な漁れたての魚だよ〜。何せ、この俺が今朝早くに漁って来たんだから、生きの良いのは保証済みだ。残った魚だ、安くするよォ〜。
(立ち止まり)
『残り物には福がある』ってね。福のある魚だよ〜。
(魚かごの側からちょっと離れた所を見て)
あれっ。あんな所に魚が落ちてる。待てよ、俺、さっき魚あんな所に置いたか?
(登場場面の回想を始める一人二人役で客は大仰に上品そうな奥様)
“魚屋さ〜ん。いわし有るかしら?”
(担いでいた天秤棒を肩から降ろして)
「へ〜い。少々お待ちを…。
(魚かごの魚をより分けながら)
え〜と、いわし、いわしと。居る、居る。有りますよ〜。
(一度捕まえた後)
有りますけど、何匹要り用でございましょうか」
(大仰にしなを作りながら)
“三匹欲しいんだけれど、一匹おいくらかしら?”
(はっきり解りやすく)
「一匹ですか?一匹、三十円でございますから三匹ですと…丁度、九十円になりますが、九は苦に通じるなんてゲンが悪いや。十円ちょいとまけて、八十円に致しましょうか。ねぇ、お客さん。八なんて、末広がりで縁起が良いや。」
(再び大仰なしなを作りながら)
“あら、まけてくれるの?じゃあ、百円でお釣りが要るわねぇ。”
(立ち上がり上手へ向かいつつ)
「お〜っと、何もこちらにいらっしゃらなくても、そちらへ持って伺いますよ。」って、魚持ってった時、俺、あんな所へ置いたか魚?。
(立ち止まり魚を眺め考え込みながら)
魚…置いたか。…いいや、置かない。あんな所へ置く訳が無い。と、すると…落としたか。俺、魚持ってく時、落としたか。…落としたか?魚。いいや、落とさない。落とす訳が無い。普段よりずっと早くに漁に出て、苦労して桶に入れて運んで来た魚だもの。あっそうそう桶ン中はっと、
(のぞき込み驚く)
アレー!魚、無い。…全部無い、消えてる。残ってた魚、どこ行っちゃったの?一人で歩いてどっかへ行っちゃうか?魚。
(右往左往しながら考え込む)
え〜と、落ち着いて、落ち着いて。…え〜と、魚には、ここん所に目が有るでしょ、
(頭の両端)
口が有るでしょ、胸ビレが有るでしょ、
(両脇を手のひらでパタパタ)
背ビレ有るでしょ、
(背中に手でヒレを描く)
尾ビレが有るでしょう。
(尻から手を大きく延ばす)
ホラ、やっぱり。ココ、ここんとこ。
(太腿を手で叩き)
魚には、足は無いの。歩いてどこかへ行くはずがないじゃないの。とすると…、
(暫く考え込み)
はは〜ん。そうか、野良猫の仕業だな。俺が、魚を届けに行った隙に、こうやって猫がやって来て、
(猫のゆっくり歩く仕草)
桶の蓋を取って、こうして魚を両手で全部抱えて…。
(魚を一匹づつ取り上げ抱き抱える…が、その抱えた魚をすぐさま投げ捨て)
猫がそんな事出来るはずが無いじゃない!
ウ〜ン、するってぇと…
(再び暫く考え込むが、地面の魚を発見)
アレ!あっちに落ちてるの、魚じゃないの?
(地面の魚の目線を進めて)
あっ、あそこにも、あんな所にも、何、その先に有るのは家じゃないの
(初めて民家を見付けて納得)
おやまあ、成程。魚を盗ったのは人間だ…。泥棒め、どこに居る。
(キョロキョロと辺りを見回し慌てて家の場所へ)
あれ、家ン中は空っぽだ。さては、どこかへ隠れやがったな。
(辺りを慌てて右往左往し立ち止まり)
泥棒め、魚泥棒。どこへ隠れた。今すぐ出て来い。出て来ないとただじゃ済まないぞ。
泥棒、どこだ。どこに隠れていやがる。
(辺りを右往左往し立ち止まりナレーションの台詞へ)
と云った、若くて正直な魚売りも、年月が流れると共に、歳を取って行くのでございます。
(後ろに用意してあった翁の面を被り着物を脱ぎ、黒の上下の姿。
【イーハートーボの様なゆるやかな曲】を流し、老人の動きにも似た当て振りの舞踏へ)