話によると
んなこたーない
モーパッサンは当時新たに建設されたエッフェル塔を忌み嫌うあまり、塔内にあるレストランに通いつめたという。というのも、パリにおいてこの伝統的な建築美に反する醜悪な姿を目にしなくて済む場所は唯一そこだけだったからである。
機械文明や科学の進歩といったものに対する懐疑・不安は、絶えず変奏・反復され、長い間ひとびとの感情生活の深奥にわだかまってきた。そこで表現されるものは、日進月歩の技術世界から脱落することへの恐怖であり、また同時にチャップリンの「モダン・タイムス」にあるような個性を抹殺し社会の歯車たるべく非人間化を強制する合理的産業への不信感である。産業主義と美的欲求の和解を断念した結果、ふたつの逆向きの態度が生じたのが十九世紀だとすれば、人類が「進歩」と「破滅」という両極端のビジョンに挟撃されたのがまさに二十世紀であったといえる。
しかし、このような機械文明と人間性の対立といった構図はもはや古臭いものを感じさせる。なぜなら、今ではもうわれわれは「進歩」も「破滅」もそのビジョンを幻視することが不可能だからである。通信と制御の時代にあって古い機械感は通用しない。機械時代は終焉したのである。われわれはこれまでのような態度で、未来を楽観視することも悲観視することもできない。新たな美学が求められているのである。
機械化は最終的に神秘主義に辿りつく。これがぼくの予言である。