しかばねのやま
構造
かのケネディ大統領は、キューバ危機でいよいよ開戦やむなしかという折
アメリカと世界の子供が核の炎に焼かれて死んでいく姿を幻視したという、
こういった逸話は良心を説明するにあたってはよくあることのようである。
たしかに拙も自慰行為を覚えた際に、一億の精子が悶え苦しみて死んでいく様を
幻視したのである。有効に利用しておれば一億もの人口になったはずであるから
わが神洲の四方は皆赤ん坊の屍海と化したわけである。むしろ背徳というよりは
そちらの恐ろしさのほうが先に立ったといってよい。これらが毎夜数億の男たちに
よって行われておるとすればたしかに地獄絵図である。仏僧の隠語において男性器
を魔羅と称するのもさもありなんといえる。
さて愚拙が何となしに辞世を残し来るべきお迎えに備えておったときのこと
当然健全といわぬまでも健康な体であるから死ぬときというものがくるとすれば
不慮もしくは非業のものと決まっている。とはいえかの松陰先生のごとくに
とどめおかまじと残すほどのものもなく、高僧の遺偈のごとく二十余年快哉と
鷹揚とかまえるほどのものもない。つまらぬ人生ではあるが当然死ぬことになれば
未練怨恨が残る。よって下の句には"匂ひをば知れ屍の山"と記したのである
屍の匂いというものがたしかに菌虫による蛋白質の分解であるとして精液というもの
はそれだけで蛋白質を分解する酵素を発しているという。だとすればこれは
生命の汁であると同時に屍の匂いのする汁と言っても過言ではあるまい。
くだらぬ未練怨恨の句ではあったが正に己のむざむざ殺した情欲の屍の猛烈を
示すに値するものではないか。
そこで愚拙は幻視した。へのこの痺れと虚脱のあとに高僧が突然あらわれ
お前は何故に生きているのかと問われ屈辱と虚脱、汚濁にまみれながら
麻痺した脳には何も浮かばずひきつった笑みを浮かべざるを得ない状況である
はたして人間の尊厳などというものがこの虚脱にふるえている己に当てはまる
かといえばまずあてはまらぬ。性愛の甘美をもってして聖性にかえようという
こころみはおのれの独行にはつねにあてはまらぬものである。とは申しても
性愛の甘美を高らかに語る人間はその実己の貪欲と軽薄を聖性に転化するだけの
俗物の中でもっとも軽蔑に値するものとしか思えぬのである。
かの瞬間に屈辱と虚脱を覆い隠す答えが見つからぬのならばまずは己を呪うこと
からはじめることだ。屍海の沼に漬かりながら悟性を騙る者共を更にしずめ
尊厳のない状態から語らせろ。
まずは貴様ら笑みを浮かべる前にその指を局所に当ててから読み返せ。