今朝マリエンバードで
三州生桑

朝早くにジョギングしてゐたら、急に雨が降ってきた。
最近の天気予報は、まったく当てにならない。
雨宿りするために歩道橋の下に駆け込むと、女が立ってゐた。
真っ赤なキャミソールを着た、痩せぎすの若い女だった。
まだほの暗い、朝の五時過ぎに、雨のそぼ降る中、歩道橋の下に立つ女・・・。
少々怪談じみてゐる。

女はしきりに髪をいぢってゐる。顏を隠さうとしてゐるかのやうに。
怖がらせてはいけないと思ひ、私はサングラスとキャップを取って話しかける。
「通り雨でせう。すぐにやむと思ひますよ」
「・・・」
「お仕事帰りですか」
「ええ」
「こんな時間までやってる店があるんですね」
「そこの・・・」
と言って、女は指差す。
「駅前のマリエンバードっていふクラブです」

マリエンバード?
あの古いフランス映画のことだらうか。
ゲーテがプロポーズした所は、確かマリエンバードだったな。
それとも、「Mary and Bird」か。
Birdを鳩と解釈して、聖母マリアと聖霊といふわけだ。
いづれにしても、場末のクラブの名前には相応しくない。

「名刺切らしちゃって・・・」
さう言ふ女は、ハンドバッグすら持ってゐない。
風が女の髪を揺らす。右目の周りが青くなってゐた。
世の中の、すべてを呪ってゐる目つき。

「小降りになってきましたね」
私は、キャップをかぶる。
「お店にいらしてください」
「夜遊びはしないんで」
「どうして?」
「さぁ。したことないから」
女は名告る。
「私・・・」
聞こえないふりをして、私は駆け出す。
「それぢゃ、お気をつけて」
「来て下さい。マリエンバードに」

女の声には絶望がにじんでゐた。


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未詩・独白 今朝マリエンバードで Copyright 三州生桑 2007-04-18 21:57:04
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