風のうしろに風はない
佐々宝砂

この文章は、みつべえさんの詩作「凪の日」ほかいくつかの作品と、「凪の日」に寄せたいとうさんの批評「何故詩なんか書いてしまうんだろう」に触発されて書いたものです。

「凪の日」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11175

「何故詩なんか書いてしまうんだろう」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11179

あるいは全くの誤解なのかもしれないが、私は、みつべえさんの詩作群に、あるひとつの方向性を感じてきた。みつべえさんの詩は、確かにどこかを向いている、と感じてきた。ひとりの人間に向かって歌い上げられる、恋愛詩や友情の詩のような方向性ではない。権力に対する抵抗のような方向性でもない。

それは、たとえば、ボードレールが「何処へでも此の世の外へ!」と書いたあの叫びに近いような、ある意味では非人間的な何もない場所へ向かってゆくような、世界の果てに向かってゆくような、「アルンハイムの領土」や「霧の都」に向かってゆくような、かつては存在したが今はもうこの世にはないアルカディアへの夢想に向かってゆくような……そんな方向性だと、私はずっと感じてきた。

>おちたところが
>ぼくのせかいの涯だ
>そこから聴覚が回復してくる
(みつべえさん作「紙つぶて」より引用)

みつべえさんの詩の登場人物にとって、この世はまるで仮の世であるようだ。私にはそう思われた。たとえば「喃語」という詩の中では「おれもまた/あめつちの/ひとつの変幻」というある種仏教的な観念が語られる。「生活の術」という詩では「だいじな持ち時間をたれながし/まっさおなニセモノでありながら/あらゆる恣意的な解釈にたえている」という恐るべき(作者は「笑うべき」と書いているが私には充分「恐るべき」)なぞなぞが読者に投げかけられる。

このような視点で詩を書き続ける(と私は考える、違うかもしれないけど)作者が、「凪の日」というひとつの問題作をあらわしたとき、私は戦慄しないではいられなかった。戦慄してしまったから、ポイントをいれられなかった。私個人は「凪の日」という詩に非常に惹かれる。この詩がもたらす癒しにどうしようもなく惹かれる。最初から最後まで考え抜いて書かれた、技巧的な詩であるとも感ずる。「石版」「すべての荷をほどき」「潮騒」「峠の起伏」「和やかな野のひろがり」こうした言葉は、さまざまな種類の読者を効果的に癒やしてゆくだろう。これらの言葉にここちよさを覚える人は多いだろう。この詩は、実際の話、非常に巧い詩なのだと思う。

いとうさんの批評にある「この作品は詩人にしかわからない話をしているように見えるが実は詩の話などしてはいない。」という言葉は卓見である。「凪の日」において、詩はモチーフ……というよりディテールのひとつではないかと私は考えているけれども、確かにこの詩は、詩のことなんか書いてはいない。詩人でなくとも、この詩に癒やされるものを感じるだろう。この詩における感動は、非常に普遍的なものだ。

だが私は「凪の日」に恐怖を覚える。私は石版を負って歩いている。私は荷をほどかない。和やかな野に背を向けて私は歩く。水の道はひとすじだ、ひとすじ海に続く。でも私は道を歩かない。なにひとつすこやかであるとは思われない。悔恨はひとつたりとも浄化されない。うしろに遠く潮騒が荒れている。凪はまだまだこないような気がする、まだきてはいけないと私の中の本能が言う。「詩が終わる」日は、私にとっての「凪の日」は、私にもいつか訪れるだろう。なるほど私はそのときすべてを赦されるだろう。私の肉体という荷をほどき、なごやかに無にたちかえるだろう。「たちかえる」という言葉がさりげなく「凪の日」にはある、そして私は。

みつべえさんも愛読するとおぼしき書物に『北風のうしろの国』という児童文学がある。私は子どものときから愛読してきた、今もかなしい日には読みたくなる一冊だ。北風のうしろの国では、北風が吹かない。そこは、みんながみんな「あしたはしあわせがくるんだ」と信じられるような気分になる国だ。決してしあわせそのものに浸れる国ではない。しかし北風のうしろの国にゆくためには、人は、人は。死ななくてはならないのだ。この世で人として生きる限り、神や北風にどんなに愛されても、人は北風のうしろの国に住むことはできない、ひととき垣間見ることはできても永住することはできない。死なない限りは。

「凪の日」が描写する静かな世界は、「北風のうしろの国」に等しいものであると私には思われた。だから私には「凪の日」が恐ろしいものであると思われた。それはどんなに和やかに美しく癒やしに充ちて見えても、死の世界だ。誰一人いない死の世界だ。だが私はその、死の世界であるかもしれぬ「凪の日」に、言いしれぬ渇望を抱く。

そして、その渇望こそが私に詩を書かせる。





散文(批評随筆小説等) 風のうしろに風はない Copyright 佐々宝砂 2004-04-30 04:35:40
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