プシユヒヨ・アナリユーゼ
はじめ

 今日は君が診察に来る日だ
 医者である僕が患者なんかに恋していていいのだろうか?
 神様は恋愛は自由だ と教えてくれたので いいとしよう
 君と僕とは年齢が50も離れている
 君から見れば僕はお爺さんなのだが
 僕から見れば君は小さな翼の無い天使そのものだ
 君は16歳で 昔から付き合っていた若者が病気で死んだせいで精神的なダメージを受け この病院にかかるようになった
 本当ならもうあのくらいの症状に収まったのなら(それまでヒステリーが酷かったのでこの病院で隔離していたのだ)汽車を乗り継いでこの街へわざわざ診察を受けに来なくても 君の住んでいる村の病院で十分なのだが 僕が一方的に君に恋に落ちているせいで移院はおろかカルテをちょっとばかり悪く改竄して 君が一日でも多くこの病院にやって来るように施してしまったのだ 神様はきっと僕を地獄へと裁くであろう しかしそう決まったのなら神など存在しないと否定すればいいのだ 僕の思想に影響を及ぼし尊敬しているマルクスやニーチェ 特にニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の「超人」説に乗っ取り 「神は死んだ」と信じればいいのだ 神などいない 神などいないのだ ならば何故 恋愛は自由だと言う神様の教えを信じているのだ? 一言で言えば僕は実に都合の良い人間だというわけだ
 3回抱いた看護婦が君の名前を告げる(君へのリビドーでつい〈代わり〉としてやってしまったのだ 本当に僕は精神科医として欠陥だらけで藪っぽくて失格だ) そして診察室のドアを君はくせのあるノックの仕方でトントンと叩き 中へ入ってきた
 僕はそのままの笑顔で君を向かい入れる 君はいつも雨の日でも風の日でも嵐の日でも朝一番に来てくれる それに手作りのサンドウィッチのお弁当まで持ってきてくれる 味はマズいが僕は少しでも君に近づきたい一心で 「おいしいよ。いつもご苦労様」と笑顔で嫌々言っている 欲しいのは君なんだ いや 現在治療している君の凍った心なのだ 僕は君にどの薬を調合し飲ませ 脳の神経伝達物質ドパミンD2受容体の回路を遮断すれば苦痛が無くなるのか知っているし どんな言葉をどのタイミングで言って 君の心を溶かし暖められるか知っている だがそうはしない 今挙げた方法を全て排除して「君」を手に入れる為にゆっくりと〈時間〉をかけて〈自然に治す〉という治療法を使っているのだ(絶対治るわけがない) 僕の内心を知ったら皆は僕を「悪魔」と呼ぶだろう しかし生憎そのことを知る人間は僕以外にいない 当然君もそうだ… この僕を止められる者は誰もいない この僕を止められるものはそう 〈時間〉という今まで無駄に費やしてきた財産だけだ…
 僕は君が徐々に僕に感情転移してきていることを嬉しく思う 君には生憎父や母や兄弟はいない 唯一の家族とも言える叔母さんには僕から「あの子は狂っているんです。一生治りません。この話は本人が傷つくから内緒ですよ」と手を回しておいた 叔母さんは完全に僕を信用仕切っている 馬鹿は医者を信用仕切るのだ 君は僕にしか感情を抱けなくした 僕は結果が出るまで納得しない人間だから こんなことで喜んではいない 本当に大事なのはこれからなのだ
 着実に君は 僕のものとなっている
 さぁ 抱きつくがよい この〈神〉と呼ぶに相応しい賢明で歴とした僕の元へと…
 診察が終わる 君は笑顔で会釈をして部屋を出て行く
 いつものことだ













 そんな僕の名は フロイトだ


自由詩 プシユヒヨ・アナリユーゼ Copyright はじめ 2007-04-08 03:48:45
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